Copyright(C)長谷川芳典 |
※クリックで全体表示。 |
3月12日の夜、岡山城が緑色にライトアップされているのをベランダから眺めることができた。ネットで検索したところ、こちらから以下のようなライトアップが予定されていることが分かった。
|
【連載】チコちゃんに叱られる! 『3つの奇祭』『紙の大きさのAとB』『お好み焼きの切り方』 昨日に続いて、3月10日(金)に初回放送された表記の番組についての感想・考察。本日は、
まず、『NHKアーカイブス劇場』で紹介された『大蛇まつり』、『けんかまつり』、『化けものまつり』が現在どうなっているのかを検索してみた。
次の紙の大きさの話題であるが、この疑問については1999年5月18日の日記で取り上げたことがあった。リンク先にも述べたように、メートル法に基づく基準面積(A0サイズならば1平米、B0サイズならば1.5平米)の長方形で縦横比は1:ルート2)を半分ずつにきった大きさが、A1、A2、...やB1、B2、...となる。なおリンク先ではB0の大きさは1.5平米であると書いたが、正しくは1×√2m=√2平米。 放送ではこの基準面積には言及されず、「Aだけだと日本人にしっくりこなかったから」が正解であると説明された。放送によれば、日本で西洋式の紙の工場ができたのは1875年。渋沢栄一による。1889年には大量生産ができる工場が日本にも誕生した。当時の紙の大きさは菊判(約22cm×約15cm。雑誌など)と、四六判(約19cm×約13cm。小説など)であったが、大きさにはバラツキがあった。そこで工業用品を統一する必要があり、当時の大蔵省印刷局・矢野道也は、海外の基準を調査した上でドイツのA判に注目した。A判は、菊判とほぼ同じ大きさであり、何回半分にカットしても縦横比が変わらないという特徴を持っていた。しかし、四六判は、A5とA6の間の大きさでありどちらの基準にも合わせることができなかった。そこでちょうどよい大きさとしてB判が誕生した。四六判とB6判はほぼ重なる大きさであり持ち運びに適していた。 なお、放送では、アメリカのレターサイズが紹介された。A4サイズは210 × 297(mm)であるのに対して、レターサイズは8.5 × 11(inch) = 215.9 × 279.4(mm)。リンク先によれば、レターサイズを多く用いる国にA4でファックスを送ると、受け手では1ページが「1ページ+ページ下端」として届いてしまうという問題が生じる。このほかレターサイズでは、縮小・拡大コピーの際に、端のエリアが切れたり余白になったりといった問題が生じるはずだ。このほかの紙の寸法についてはウィキペディア参照。 この紙のサイズの問題は、私自身の資料管理にも大きな影響を与えた。私が子どもの頃から大学院、さらに就職した1980年代頃までは、各種資料はB4またはそれを2つ折りしたB5サイズが標準となっていた。しかしその後国際基準に合わせるということで公的な文書や会議資料、さらに教材として配布する資料などはしだいにA4に移行した。そのため、それらを保存するバインダーもA4サイズ、バインダーはB5の26穴からA4の30穴に買い換える必要が出てきた。また、木製の書棚はB5のファイルがすっぽり収まる高さごとに仕切られていたため、A4ファイルを収納することができなくなった。学会論文集もいつ頃だったか、B5サイズからA4に切り替えられたため、同じ書棚に並べていくと不統一の大きさになってしまった。 ま、総合的に比較すれば、B4見開き文書よりはA4判のほうが読みやすいし、図表の配置にも便利だとは思うが、現職時代の途中で変更されたことは困りものであった。なお、現職時代の紙資料は、重要なものだけスキャナーで読み取ってPDFファイル化したあと、すべてシュレッダーで粉砕して廃棄している。 最後の5.のお好み焼きの切り方だが、関東ではピザ切り(放射状)、関西では格子切りにする人が多いようである。もっとも私自身は滅多にお好み焼きを食べたことがないため、どのように切っているのかは記憶に無い。というか、通常は一人で一枚を食べるため、そのつど一口分を切り取って食べていたような気がする。 |