じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



06月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る




クリックで全体表示。



 昨日に続いて、ウォーキングコース沿いで見かけた『かすれて読み取れない道路標示』。昨日撮影した地点より1つ北側にある横断歩道も同じようにかすれて見えにくくなっていた。
 なお左端に移っているのは津山線の『門出川橋梁』というめでたい名前になっている。上流に法界院(金剛山遍照寺法界院)があることに由来しているのではないかと思われる。



2024年6月10日(月)




【連載】チコちゃんに叱られる! 「韻を踏むと気持ちよくなる理由」(2)イマイチ納得できない実験

 昨日に続いて、6月7日(金)に初回放送された表記の番組についての感想・考察。引き続き、

●韻を踏むと気持ちいいのはなぜ?

という話題について考察する。なお今回の放送では、主として

●ラップは韻をふんで歌っているが、韻を上手に踏んでいるのを聞くと気持ちいいのはなぜ?

という点に焦点があてられていた。

 昨日も指摘したが、今回の放送では、
  1. 似た響きの音を繰り返す。
    例えばYOASOBIの『アイドル』という歌では、「はいはい あの子は特別です」のあとに、「です」や「ない」が頻出している。
  2. 同音異義語の使用。
    例えば「人の夢はかねぇ 心ははがね」では「儚ねぇ」と「鋼」、「お前が東大?言ってた通り足元が灯台下暗しだよ」では「東大」と「灯台」【あるいは「暗し」と「暮らし?」というように同音異義語が使われている。
というような2つの特徴が混同されていた。
 このうち1.は本来の「韻を踏む」に近い意味かと思われるが、「です」や「ない」はいずれも同音異義語ではない。似た響きの音を繰り返す効果を狙うのであれば、擬音語や擬態語、さらには「ラリラリー」でも「ドッコイショ、ドッコイショ」でも同じはずだ。
 いっぽう2.は和歌の掛詞やダジャレ、謎かけなどで用いられる。1.が音の響きなので外国語や無意味な音節でも同様の効果を発揮するのに対して、2.のほうは言語に依存する。なので日本語を知らない人にはダジャレは通じない。
 素朴な大脳半球の機能局在論から言えば、1.は右脳、2.は左脳が関与しているかもしれない。もちろん、1.と2.の効果が合成されて単純加算以上に強まることもあるかもしれないし、逆に効果を打ち消し合う可能性もある。さらには、歌全体のテーマやメロディー、リズムなどとの相乗作用もあるだろう。

 さて、放送では、川原繁人さん(慶應義塾大学)の解説に続いて、言語学や脳科学を研究している堀田秀吾さん(明治大学)が登場された。ちなみに堀田秀吾さんは2023年9月の放送にも出演しておられ、「私はワクワクしている」と叫びながらヘンテコな踊りを踊るというイメージが残っているが、今回はどうだろうか。実際に行われた実験は以下のようなものであった【要約・改変あり】。
  1. 実験に協力したのは、歌う側がラッパーのCAKE-Kさん。聞く側は学生4人(画像からの推定)
  2. 韻のあるラップと韻の無いラップをランダムに聴かせ、脳波の違いを計測。
    • 韻のあるラップは
      ●今日(きょう)チコちゃんに叱られる。質問されたら俺焦る。鋭い指摘に目が覚める。汗が垂れるし俺帰る
    • 韻の無いラップは
      ●今日(きょう)チコちゃんに叱られる。質問されたら俺やだな。鋭い指摘にびっくりし。汗がダラダラどうしよう。
 以上により、
  1. 聞いていた側では、「韻あり」の条件のほうが途中でα波の山が高くなっていた。
  2. 堀田秀吾さん;α波は幸福感・集中力・リラックスに関係しており、ラップを聞いている時には「韻がこないかな」と期待しているので期待通りに韻がふまれると「おおキター!」ということで幸福感が得られるのではないか。
という分析結果が得られた。
 続いてラッパーに、1分間自由に韻を踏んでもらいこれを3回計測。さらに同じリズムで韻無しの脳波を計測した。ラッパーのCAKE-Kさんは韻無し条件は「気持ち悪い。予定調和でこうくるでしょうというところが外れるからビートにしがみついていない感じがする」というように感想を語っておられた。また脳波の計測結果からは、
  1. 韻ありのラップでは脳の画像表示で青い部分が多かった。側頭葉の部分は韻無しの時よりも活動が落ち着いていた。
  2. 韻ありの条件では脳の後ろのほうの感情をつかさどる部分も底活発。
  3. つまり韻ありの条件では全体的にリラックスした状態になっていた。エンジンで言えば「アイドリング状態」
  4. いっぽう韻なしの条件では、言葉をつかさどる部分が活発な状態になっていた。これは韻を踏まないように言葉を探して必死に集中している状態。
  5. 「アイドリング状態」では脳全体が動いているため脳全体から言葉を引き出せるのでラッパーは次々と言葉をつなげることができる。
ということで、堀田秀吾さんは、

と結論された。




 ここからは私の感想・考察になるが、上掲の実験と結論にはイマイチ納得できないところがあった。

 まず、聞き手側でα波が出たということだが、これが「焦る、覚める。垂れる。帰る。」という似た響きの音の繰り返しによるものなのか、日本語の動詞の終止形が続くことで短文として歯切れがよくなった効果なのかがハッキリしていない。昨日も述べたが、日本語はもともとSOVやSCVという文型であり、動詞などの述語が文末に位置するため、放っておいても同じような響きで終わりやすいように思う(←昔の文章では終止形で文を切らずに、1つの文だけで一段落を完成させるようなものもあったが)。なので、どこまで脚韻を踏んでいると言えるのか、決めかねるところがあるように思う。
 また、音楽を楽しむというのはあくまで曲全体を楽しむということである。韻を踏んでいる箇所だけで局所的にα波が出たからといって、曲全体でα波が多いということにはなるまい。より巨視的なレベルでの分析が求められる。

 次にラップを歌う側の脳波であるが、上掲の実験では、聞く側と歌う側では別の歌詞が用意されており、歌う側のほうはおそらく即興であった。ラッパーは普段は韻ありの条件で自然に歌詞を繋いでいるので、敢えて韻を踏まないように言葉を選ぶというのは一苦労。こうした条件で計測された脳波の結果だけをもって、「韻を踏んだ文を言っている人も聞いている人も気持ちよくなっている。」と結論するのは飛躍しすぎているように思う。
 おそらく最初の実験では歌う側の韻あり、韻なし条件で明確な差が出なかったため、即興条件での比較に踏み切ったものと思われる。しかし見方によっては、韻なし条件のほうがラッパーの左脳を活性化させてワクワク感をもたらしたと言えるかもしれない。いずれにせよ、最初の実験(聞き手側)ではα波、2番目の実験(歌い手側)では活発化している部位の画像解析、というように違った物差しを使っていること、違う歌詞になっていること、など条件や計測方法が異なっているところが気になる。いろいろい試してみて有意な結果が出た部分だけを切り取ってきて後付けで都合の良い解釈をしているのではないかと批判される可能性もあるだろう。

 次回に続く。