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ベランダで毎年育てているクルクマ。昨年秋に2鉢に株分けしたところ、それぞれの鉢から2株ずつ発芽。株分けの影響なのか、今のところ葉っぱは小さめ。写真右は昨年8月18日の写真。 |
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【連載】千の顔をもつ英雄(4)『カエルの王様』と『変目伝』 昨日に続いて、NHK-Eテレ『100分de名著』: ●キャンベル“千の顔をもつ英雄” (1)神話の基本構造・行きて帰りし物語 のメモと感想。高齢世代でも「冒険」に旅立つことができるか?についても考察する。 今回は本題から逸れるが、放送第2回の冒頭で、召命が小さな失敗から始まる事例としてカエルの王様が挙げられていたことについて、これを機会に考察する。 ウィキペディアに記されているように、この童話は、 ●ある国の王女が、森の泉に金の鞠を落としてしまう。そこへカエルが「自分を王女様のお友達にしてくれて、隣に座って同じ皿から食事を取って、あなたのベッドで寝かせてくれるのなら、拾ってきてあげよう」と申し出る。王女は条件をのむが鞠を取り戻せた途端、カエルを置き去りにして走って城へ帰ってしまう。 という失敗から始まっている。この点は放送で指摘された通りであるが、このお話では別段王女は何の冒険もしていない。あげくの果てには、 ●王女は寝室の隅にカエルを置いて一人で寝てしまおうとするが、カエルは「自分をベッドに上げてください、さもないと王に言いつける」と抗議する。王女は腹を立て、罵りながらカエルを壁に叩きつけようとする。するとカエルの魔法が解け、立派な王子の姿に戻る。 となっていて、王女が腹を立ててカエルを壁に叩きつけたことでハッピーエンドになったという、恋愛も献身もない何とも不可解な展開になっていた。放送では、王女が金の鞠を池に落としたことについて「カエルとの出会いが冒険への召命。こんな小さな失敗から始まることもあるんです」と述べていたが、王女に何の冒険が始まったのかよく分からないままであった。 ところで、本当のところ、この童話は何が言いたいのだろうか。念のためBingに尋ねて見たところ以下のような回答をいただいた。 『かえるの王さま』(または『鉄のハインリヒ』)は、グリム童話の一つです。この物語は、カエルが実は王子様であったという展開から、「嫌いだったものが好きに変わる」というポジティブな意味合いを持っています。確かに、「嫌いだったものが好きに変わる」というポジティブな意味合いはあるとは思うが、それはあくまで醜いカエルが立派な姿に変身したため、つまり外見が悪いままでは決して幸せになれないということを示唆しているようにも思う。 ここでさらに脇道に逸れるが、高校3年の頃、広津柳浪の『変目伝』を読んだことがあった。リンク先が『文学にみる障害者像』の資料となっていることから分かるように、この小説は今の時代から見れば完全な障害者差別小説であり、 ●身材いと低くして、且つすべてを小さく生れ付きたり。」「顔は丸顔にして、鼻は形よく、口元に愛矯あれども、左の後眥より頬へ掛け、湯傷の痕ひッつりになりて、後眥を堅に斜めに釣寄せ、右の半面に比ぶれば、別人なる如く見ゆ。」これがあだ名の由来である。口の悪い子どもたちには、蜘蛛男、一寸法師と呼ばれる。 という伝吉と呼ばれる男が主人公になっている。カエルの王様は立派な王子に変身したことでハッピーエンドになったが、伝吉は最後までハッピーにはならない。けっきょく外見が醜い者は差別され、悪巧みにはまり、最後までハッピーにはなれないという展開になっている(唯一の喜びは、死刑囚として収監されていた時に心を寄せていた女性の名の差し入れを受け取ったことか)。 この小説にヒントを得て、当時私は「カエルの王様は醜い姿のままでハッピーにはなれない。王女に壁に叩きつけられて破裂死した」という同話を創作したことがあった【←誰が読むか!】。ま、差別をやめようと言うのはたやすいが、結婚相手を選ぶというような場面になれば、もちろん人間的な魅力が第一とはなるが、外見に全く左右されないというわけにはいかないだろう。 なお、少女の残酷さを描いた小説としては、太宰治の『カチカチ山』がある。何も悪いことをしていないタヌキは、ウサギ(16歳の処女)に嫌われたがゆえに、 ●ぽかん、ぽかん、と無慈悲の櫂が頭上に降る。狸は夕陽にきらきら輝く湖面に浮きつ沈みつ、「あいたたた、あいたたた、ひどいぢやないか。おれは、お前にどんな悪い事をしたのだ。惚れたが悪いか。」と言つて、ぐつと沈んでそれつきり。 という悲劇的な最期を迎える。それに対してウサギは、 兎は顔を拭いて、「おお、ひどい汗。」と言つた。 念のため言っておくが、私は上掲の王女も、伝吉に慕われた女性も、カチカチ山のウサギも、どれもストーカーを振り払っただけであり、別段悪いことは何もしていない。いっぽうそれぞれに出てくる男のほうも一途に相手を慕ったという点では悪くはない。但し度が過ぎれば相手を傷つけることとなり、当然の報いとして破滅することになるだろう。 次回に続く。 |