じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 昨年春に妻が知人からいただいてきたイワタバコが、4月に続いて3カ月ぶりに開花した【写真左】。写真右は4月20日掲載の写真。
 昨年夏は何とか夏越しできたが、今回はどうだろうか。あと、カイガラムシのような綿状の害虫対策も不可欠。

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2024年7月13日(土)




【連載】千の顔をもつ英雄(6)召命の拒否

 昨日に続いて、NHK-Eテレ『100分de名著』:

名著141「千の顔をもつ英雄」ジョーゼフ・キャンベル
のメモと感想。高齢世代でも「冒険」に旅立つことができるか?についても考察する。

 放送第2回では、続いて「召命の拒否」が取りあげられた。このことについてキャンベルは、
現実の人生ではよくあることで、神話や有名な話の中でも珍しいことではないのだが、召命に応えない、という面白くない展開にでくわすことがある。 (略)
この拒否とは本質的には、自分の利益になると思われることを断念したくない、という拒否を意味する、と世界中の神話や民話ははっきり示している。
このことについて指南役の佐宗邦威さんは、
旅に出ることは地位や安定した生活を捨てることを意味する。ここに葛藤が生まれる。時には拒否する。安定の方にとどめておく「現状維持バイアス」のようなもの。直感ではやりたい、でも理性では安定したいと迷った時は、直感を信じて前に一歩出なさいという神話の教訓なんじゃないかと思う。
と述べておられた【←聞き取りのため、言い回しの一部改変あり】。

 キャンベルは召命の拒否について否定的な見解を示している。
召喚を拒否すると、冒険は消極的な形をとることになる。退屈や激務、または「世間」に囲まれて、当の本人は重要で肯定的な行動力を失い、救いを求める犠牲者になる。花開く世界は石だらけの荒野になり、人生も無意味に思えてしまう。


 召命拒否に関して、伊集院さんは、ご自身が高校を中退した際の葛藤について語っておられた。もっともその際の現状は不登校であり、必ずしも「安定」ではないし、「現状維持バイアス」がどこまで働いていたかどうかは疑わしい。

 このことで思い出したが、定年退職前に参加した某シンポジウムで、長期間の引きこもりの事例が取りあげられたことがあった。詳細は忘れてしまったが、話題提供者は、10数年以上にもわたって引きこもり者のセラピーを担当しているが、毎回、当人の自発的な語りに耳を傾けるだけで積極的な働きかけは何もしていないように見受けられた。そのセラピストの流儀では、当人の自然な気づきや前向きな姿勢への自発的な転換を大切にしているらしいのだが、うーむ、そのような引きこもり環境は当人にとって最も居心地の良い生活空間であり、まさに上掲の「現状維持バイアス」がはたらいて現状のぬるま湯に浸り込んでいるのではないかという気もした。結果的に当人は10歳代から引きこもりを始めて30歳代になっても依然として脱することができない。もちろん引きこもりにも色々な原因があるし無理強いは禁物だが、だからといって当人に自発的な変化が起こるのを辛抱強く待つというだけではセラピーとは言えず、実質的な放置になっているように思えた。
 そういう意味では、自分で道を切り開いていった伊集院さんはさすがと言える。

 あと、この連載の目的の1つである「高齢世代の冒険」であるが、急病で病院に担ぎ込まれるというような「冒険」では、召命の拒否などはありえない。但し、例えば、がんの宣告を受けた人の治療法の選択とか、どこまで延命措置を希望するのか、といった選択は、ある程度当人に委ねられる場合があるように思う。

 次回に続く。