じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 10月24日の日記に備前富士の真上に出現した謎の影の写真を掲載したところであるが、10月25日の日没時には今度は同じくらいの大きさの明るい逆台形が出現した。日没の方位よりは左側(南側)に離れていた。
 それにしてもこのところ、日没から宵の時間帯は雲が多い。美しい夕焼け空が見られるのは結構なことだが、そのせいで紫金山・アトラス彗星は10月12日から18日までの7日間で5回見えたものの(10月13日は肉眼でも見えた)、その後はずっと雲に覆われたままで地球から遠ざかってしまった。


2024年10月26日(土)





【連載】チコちゃんに叱られる! 「万博の由来」「バレボールの由来」

 10月25日(金)に初回放送された表記の番組についての感想・考察。この日は、
  1. 万博が始まったのはなぜ?
  2. なぜバレーボールをやるようになった?
  3. なぜかわいいものを見るとジタバタする?
  4. 【ひだまりの縁側で…】星の書き順でわかる性格テスト
という4つの話題が取り上げられた。本日はこのうちの1.と2.2について考察する。

 まず1.のバレーボールの起源については、放送では「ヴィクトリア女王の夫がロンドンを世界の中心にしたかったからが正解であると説明された。万博について研究している橋爪紳也さん(大阪公立大学)&ナレーションによる解説は以下の通り【要約・改変あり】。
  1. 万博の始まりは1851年のロンドン万博。
  2. ロンドン万博では、『クリスタルパレス』と呼ばれる鉄とガラスで造られた建物に。30か国以上の国々から最先端の工業製品や優れた芸術品などが出品された。
  3. ロンドン万博以前は、ヨーロッパのそれぞれの国ごとで博覧会を開催していた。
  4. イギリス王室 ヴィクトリア女王の夫・アルバート公は国ごとに開催していた博覧会を1か所で行うことを考え、世界中の優れた製品や美術品をロンドンに集める博覧会開催を計画した。
  5. こうして、1851年5月1日から10月15日まで開催された第1回万博には約604万人が訪れた。その結果、経済活動は活発になりイギリスは更なる発展を遂げることができた。
  6. その成功を見た他の国々も次々と万博を開催するようになった。
  7. 日本が初めて参加したのは1867年のパリ万博。甲冑や工芸品が展示された。会場で一番人気だったのが、日本の日本茶屋の絵に描かれた3人の芸者の姿で、日本と言えば芸者というイメージの一因にもなった。
  8. 万博は発明品をお披露目する場にもなった。
    • エレベーター:1853年ニューヨーク万博。数年後にニューヨークのビルに設置され、世界に広まっていった。
    • 電話:1876年フィラデルフィア万博。アメリカで見た最大の発明だと絶賛された。
    • 動く歩道:1900年パリ万博。
    • アジア初となった1970年大阪万博でも、ワイアレステレホン、リニアモーターカーなどが紹介された。

 放送ではさらに、来年開催に向けて準備が進んでいる2025大阪万博の工事の様子が紹介された。また万博の目玉となる『空飛ぶクルマ』の離発着場や『未来型人間洗濯機』も紹介された。ちなみに『人間洗濯機』は1970年の大阪万博でも出品されていた。ボタン1つでお湯が張られ超音波で全身洗浄するという全自動システムであった。しかし、当時紹介された新製品の中で人間洗濯機だけは実用化されなかったという。出品を計画している浴室用品メーカー社長が登場し、意気込みを語った。

 ここからは私の感想・考察になるが、1970年大阪万博の時は私は高校3年であった。受験勉強ということもあったが、もともと人混みは嫌いということもあり、特に見に行きたいとは思わなかった。今回もあまり行きたいとは思わないが、孫たちと一緒に訪れることはあるかもしれない。
 最後に紹介された『人間洗濯機』というのは、名称だけが同じと言うことであれば、京都・洛北の紫野温泉にも設置されていて、下宿から自転車で通ったことがあった。現在では「浅風呂、電気風呂、露天風呂、スクリュー風呂、ミルキー風呂、全身マッサージ風呂、サウナ、水風呂」となっていて『人間洗濯機』の名称は見当たらないが『スクリュー風呂』と呼ばれているものがこれに相当しているのではないかと思われる。

 ま、会場に大勢の人が集まれば集まるほど、個人が何かを体験できる機会は少なくなり、また体験可能であっても順番待ちで長蛇の列に並ぶようになる。会場に行って『空飛ぶクルマ』に乗れるとは到底思えないし、大勢の前で裸になって『人間洗濯機』を体験したいとも思えない。今やネットを通じて仮想体験ができる時代であり、わざわざ生身の人間を一か所に集めて大勢の人たちの背中越しにやっとこさ展示物を眺めるというような面倒なことをする必要はないようにも思う。




 次の2.のバレーボールの由来については、放送では「バスケが激しかったから」が正解であると説明された。バレーボールの歴史に詳しい高橋宏文さん(東京学芸大学)&ナレーションによる解説は以下の通り【要約・改変あり】。
  1. バレーボールは約120年前にアメリカで生まれたスポーツ。きっかけとなったのはバスケットボール。
  2. バレーボールが生まれた1895年当時、アメリカで人気だったのはアメリカンフットボール、ベースボール、バスケットボールだった。どのスポーツも若者が激しくエキサイトする球技として人気を集めていた。
  3. こうした激しい球技に疑問を持ったのが、バレーボールの生みの親であるW・G・モーガン。モーガンは市民にスポーツを教える体育指導者。25〜40歳の、当時のアメリカで言う中高年クラスを担当していた。
  4. 当時の人気の体育館の種目としてはバスケットボールがよく行われていたが、放送でも実演されていたように、中高年にとってはバスケットボールは運動量が多くぶつかり合いで危険なこともあった。そこで、どんな年代にも優しい球技であるバレーボールを考案した。バスケットボールよりも「優しい」点としては、
    • ぶつかり合いを避け、コートにネットを立てて敵味方を分ける。
    • 運動量を減らすためコートをバスケより小さくする。【バスケは15m×28m、バレーボールは7.62m×15.24m】
    • 出られない人がいない【当時は人数制限がなく、集まった人たちを半分に分けていた。16人vs16人で行っていたという記録もある】
    • 好きなタイミングで返球【現在のルールはは3回で返球だが、当時は無制限。しかもスパイクという技術はなかった】
  5. しかし1912年、フィリピンで52回連続パス回しをするという事件が起こり、その後3回返球のルールとなった。
  6. さらに、人数を6人まで減らしたり、攻守のポジションを回す(ローテーション)といったルールが定められ、競技スポーツとして進化した。
  7. 現在でもバレーボールの優しさは残っている。
    • ママさんバレーでは9人制。ネットの高さも一般バレー女子の2.24mから2.05mと19cm低くなっている。
    • 高齢者でも座ってプレーできる風船バレー。
    • 泥んこバレー。

 ここからは私の感想・考察になるが、バレーボールの一種『ビーチバレー』の由来については7月12日の放送ですでに取り上げられていたが、元祖のバレーボールの由来についてはまだ紹介されていなかった。
 バスケットボールより優しいスポーツとして考案されたというのはその通りかと思うが、おそらくその元型としては、テニス、卓球、バトミントンなどがあったのではないかと推察される。もっともどれが一番古いのか時系列的に並べてみないとなんとも言えない。子どもの遊びの羽根突きなどはもっと古くからあったはずだ。平安貴族の『蹴鞠』などはさらに古い。

 7月15日の日記でも言及したように、バレーボールのルールは1964年東京五輪以降にもルールが変更されており、私にはよく分からないところがある。

 次回に続く。