じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 11月26日の楽天版に『こどもの森』(国際児童年記念公園)の紅葉の写真を掲載したところであるが、かつてはその真南にOHKの社屋があり、この季節には電波塔のライトアップが行われていた。私自身は電波塔のことを『岡山タワー』と勝手に呼んでいた。【写真左上。2013年12月15日の楽天版参照】。
 しかしその『岡山タワー』もOHKの社屋移転に伴い、2021年11月5日〜7日頃に取り壊された【写真右上。2021年11月7日の日記参照】。
 この場所はいったん完全に更地化されたが、その後『ロイヤルガーデンシティ学南町』というマンションの建設が進んでいる。マンションの引き渡し可能時期は2026年3月中旬予定、全139邸で、第2期の販売価格は3110万円〜6240万円、広さは56.65〜102.01平米となっていた。OHKの旧敷地内には、このほか賃貸用のマンションや戸建て分譲もあるらしい。道路を隔てて子どもの森があるし小中学校もそれほど遠くないので子育て世帯には便利かもしれない。買物は徒歩圏内にマルナカ、天満屋ハピータウン、ラ・ム−が便利。

 それにしても最近の新築マンション価格はずいぶんと値上がりしているように思える。


2024年11月28日(木)




【連載】ヒューマニエンス 「“不安” ヒトが“自らつくった”進化のカギ」(2)不安の定義

 昨日に続いて、11月25日にNHK-BSで再放送【初回放送は6月1日】された、NHK『ヒューマニエンス』、

「“不安” ヒトが“自らつくった”進化のカギ」

についてのメモと感想。本日から放送内容に入る。この回のスタジオゲストは、生物の進化と不安のかかわりの研究をされている河田雅圭さん(東北大学)であった。

 放送の冒頭で河田さんは、「不安はヒトを進化させた?」という織田さんの問いに
  • 「どちらかと言うと、不安とともに進化した」
  • ヒトはいろいろな進化をしているが、ヒトの進化の1つの特徴として不安も一緒に進化している
  • 不安についての脳神経科学的な研究はずっと昔から進んでいるが、進化という視点から見たのはごく最近。遺伝子の研究からいろいろ行われるようになった。
というように答えておられた【要約・改変あり】。

 トークパートナーのいとうせいこうさんは不安について「常にどこかに不安がある。何かに対する不安ではなく、何かわからない不安。不安じゃないと進歩しないんじゃないか、ということは常にある。」と語っておられた【要約・改変あり】。

 ここで不安の定義の話になるが、河田さんによれば、生物学的には、

起こっていないけれども起こるかもわからないストレスや恐怖に対して、つまり潜在的なものに対する反応を称して「不安」と呼んでいる。

というように定義されるという【要約・改変あり】。




 ここでいったん放送内容から外れて、『不安』の辞書的な定義を調べておく。
  • 大辞泉:気がかりで落ち着かないこと。心配なこと。また、そのさま。「―を抱く」「―に襲われる」「―な毎日」「夜道は―だ」
  • 新明解:不結果(最悪の事態)に対する恐れに支配されて、落ち着かない様子だ。「不安を△感じる(訴える・与える・もたらす・取り除く)」「不安に襲われる」「不安が△つきまとう(残る)」「不安に思う」「不安な地位」
  • 三省堂:どうなるかと心配して、おちつかない〈ようす/気持ち〉。「━に思う」「━の念」「━が高じる」(⇔安心)
  • 岩波国語辞典:何かが気がかりで、落ち着かない(安らぎが得られない)心の状態。「人生の漠然たる―に悩む」「社会―が起こる」
などとなっていた。また、ウィキペディアでは、
不安(ふあん、英語: anxiety, uneasiness)は、心配に思ったり、恐怖を感じたりすること。または恐怖とも期待ともつかない、何か漠然として気味の悪い心的状態や、よくないことが起こるのではないかという感覚(予期不安)を指す。
というように定義されていた。しかし、国語辞典の定義もウィキペディアの定義もかなり曖昧な印象を受ける。それは、「落ち着かない」、「心配に思う」、「恐怖を感じる」、「気味の悪い心的状態」といった現象が『不安』から独立してしっかり定義されていないためである、見方によっては「不安とは不安のことだ」とか、「不安とは安心できていないことだ。安心とは不安が無いことだ」といった同語反復に陥る恐れがある。もっともそうは言っても、不安を全く感じない宇宙人が居たとしてその宇宙人たちに不安とはいかなる状態であるのかを説明するのは不可能であろう。ではなぜ地球人同士であれば不安とは何かを理解し合えるのかと言えば、おそらく「こういう状態に追い込まれた時に生じる状態」というように、より客観的な環境要因や文脈を示した上で相手の状態を推測できるためと考えられる。【例えば、熱いという感覚は、70℃のお湯に手を入れた時の感覚として説明すれば他者に伝えることができる。】

 ということで以下は、私自身が考える『不安』。但し思いつき程度のものを含む。
  1. 不安は現状そのものではなく、将来に起こるかもしれないこと、もしくは将来のほうが今より酷くなるかもしれないことに対して感じるという定義がある。しかしこの定義を厳密に適用すると、ヒト以外の動物は将来に対する言語的な反応ができないので、ヒトと同じような不安を感じることは無い。であるとすると、ヒト以外の動物をモデルにした不安研究を進めても、言語的な派生に由来するようなヒト特有の不安を解消させることはできない【但し、抗不安薬のように生理的に作用する薬の開発に動物を使うことはできる】。
  2. 現実の存在から直接的に受けているのは不快、あるいは苦痛。その存在に対する言語反応あるいはその派生として生じるのが不安。
  3. 将来の出来事の不確実性は不安の一因になるが、不確実であれば必ず不安になるというわけでもない。例えば宝くじを買えば将来大金持ちになれるかもしれないという不確実性が生まれるがそのことで不安になる人はまずいない。
  4. 不安の反対語は『安心』だと言われるが、不安が無いことと安心していることは必ずしも同一ではない。例えば私は男なので子宮癌に対する不安は全く無い。いっぽう女性であれば、子宮がある限りは不安をゼロにすることはできない。この場合は検診を受けことなどで安心を高めることになる。
  5. 何事にも無関心になれば不安は生じないはずだ。それがいいことかどうかは別として。【但し、すべてどうでもいいが無性にイライラするというような病的な状態はあるかもしれないが、これは日常生活で感じる一般的な不安とは別物だろう】。
  6. 将来確実に起こることに対しても不安をいだくことはある。例えばヒトは必ず死ぬので、死に対する不安は不確実に対する不安ではない。もっとも、死に対する不安というのは死に対する恐怖とは別であり、自分がいつ死ぬのかが不確実であることによって生じているのかもしれない。


 次回に続く。