じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 昨年9月に、4Kチューナー、HDMI切替器、外付けHDDを購入して、4K放送の視聴とHDDへの録画ができる環境を整えたところであったが、1年2ヶ月が経った時点で、突然HDMI切替器(写真左)が故障し画面が映らなくなった。切替器のセレクトボタンが点灯しなくなったことからみて内部で接触不良が生じたのではないかと思われた。
 ネットで検索したところ、2入力の切替器が税込み601円【写真右】で売られていたのでさっそく注文。翌々日の昼には配送された。
 ところが繋いでみると、地デジやBSは従来通りちゃんと映ったのに対して4Kのほうは黒画面で映らなくなってしまった。今回の切替器は入力用2本、出力用(ディスプレイに繋ぐ)1本のHDMIケーブルが必要であったが、ネットで調べたところ、どうやら出力用に使ったケーブルが4Kには非対応であったためであると判明した。幸いHDMI2.0と思われるケーブルが1本見つかったのでそれにつなぎ替えたところ無事に4K放送が映るようになった。やれやれ。


2024年11月27日(水)




【連載】ヒューマニエンス 「“不安” ヒトが“自らつくった”進化のカギ」(1)『不安』の適応的意義とトンデモ解釈の危険

 11月25日にNHK-BSで再放送された、NHK『ヒューマニエンス』、

「“不安” ヒトが“自らつくった”進化のカギ」

についてのメモと感想。ちなみに、『ヒューマニエンス』は、2024年3月をもってレギュラー放送が終了し、4月以降は特集番組として不定期に放送されると伝えられていたが、不定期では毎週録画予約の設定ができないため、ずっと視聴していなかった。こちらのリストによると、2024年4月以降には、
  • 2024年5月11日「“おいしさ” ヒト進化のスイッチ」
  • 2024年6月1日「“不安” ヒトが“自らつくった”進化のカギ」
  • 2024年7月6日「“たんぱく質” あなたの知らない生命の“本性”」
  • 2024年8月3日「“健康寿命” 見えてきた謎のトライアングル」
  • 2024年9月7日「“すい臓” 寡黙なるヒト進化の同伴者」
  • 2024年10月5日「“水”唯一無二の生命の創(つく)り手」
というように、毎月ほぼ1回、合計で6回分が初回放送されていたことが分かった。今回の『不安』の話題はそのうちの6月1日放送分の再放送であった。

 さて放送内容に入る前に、『不安』についての私自身の考えを述べておきたい。といっても私独自の考えがあるわけではない。2023年9月16日に言及した、

●ハリス著 岩下慶一訳(2015).『幸福になりたいなら幸福になろうとしてはいけない―マインドフルネスから生まれた心理療法ACT入門』筑摩書房

の考え方を私自身の考えとしてそっくり受け入れてもそれほど違和感は無いように思っている。
  • 原始人の心を占める最優先事項は、自分を傷つけそうなものに気を配り、危険を避けることだった。原始の心は「殺されない」ための装置だったのだ。
  • 今日、心が私たちに警告を発する原因はサーベルタイガーでも毛深いマンモスでもない。それは失業すること、拒否されること、スピード違反で捕まること、公衆の面前で恥をかくこと、癌になること、その他無数の一般的な恐怖だ。結果として、私たちは多くの時間を、ほとんどが実際には起らない出来事を心配することに費やす。
  • 原始人が生存するためのもう一つの必須事項は、集団への所属だ。所属する部族から追い出されたら、狼に食われるまでそう長くはかからない。集団から拒否されないために、心ができることは何だろう?部族の中の他のメンバーと自分を較べることだ。自分は十分に貢献しているだろうか?他のメンバーと同等だろうか?拒否されるような行動をしていないだろうか?
  • さらに悪いことに、私たちの高度に洗練された心は自分がなりたい理想像を作り上げ、それと現実の自分自身を比較する。どう考えても勝ち目はない。結果、いつも自分に不足感を持つことになる。
  • 進化がかくのごとく私たちの脳を形成したおかげで、私たちは生まれつき、比較し、他者を批判し、自分に足りないものに注意を向け、在るものだけでは満足せず、そのほとんどが実際には起こらない恐怖の、シナリオを想像してしまうようになった。人々が幸福になるのは難しいと考えるのも無理はない。

 今回の放送概要にも、

ヒトは将来を予測する認知能力を獲得して「不安」を自らつくり出してしまう。こうした「不安」が実は進化の背中を押していた。アフリカから世界中に移り住んだグレートジャーニーや狩猟採集生活から農耕生活への変化にも「不安」を巧みに使った戦略があった。【以下略】

というように『不安』の適応的意義が強調されていた。

 いま不安に苛まれ自分は異常な病気にかかっているのではないか悩んでいる人たちに対して「人間にとって不安を感じることが当たり前である」という上記のような考え方を示すことは大いに効果があるとは思うが、不安を感じることが人間の進化の過程で本当に役立ってきたのかについては、しっかりとした証拠に基づいて地道に理論を組み立てていく必要があるように思う。『チコちゃんに叱られる!』の感想の中でもたびたび指摘していることであるが、

●大昔の人間にとって役だった性質が「遺伝子に記憶されて」現代人の行動の原因になっている。

などという解釈は殆どが眉唾ものと言わざるを得ない。しかし大学教授とか医師とかいった肩書きを持つ人がまことしやかに語るとついつい納得してしまうことになるので注意が必要だ。

 さて、私自身が疑問に思っているのは、

●将来を予測する認知能力を獲得することと「不安」は別物ではないか?

という点である。例えば、
  • 将棋棋士は何十手も先の局面を頭に描きながら最善手を選ぶと言われているが、先の手を考えるたびに不安を感じているわけではない。
  • もっと身近な例として、ウォーキングをしている時には、側溝に落ちないように、踏切で列車に轢かれないように、曲がり角では正面の塀にぶつからないように、というように常に注意を配りながら歩いているが、その際、側溝や列車や塀に対していちいち恐怖をおぼえているわけではないし、それらの事故に遭ったらどうしようと不安を感じているわけでもない。
  • 農耕生活では冬に備えて食糧を蓄えるが、別段、冬になることが不安だからそうしているわけでもない。

 今回の放送でも

農耕民は春に種をまいて秋に収穫する、というように将来を見据えて予測をして農耕しなければならない。そういう将来に対する不安を感じることで農耕生活を成功に導いた。

というような言及があったが、これまた別段不安を感じなくても四季の変化に合わせた農耕のスケジュールを立てることはできると思う。それと、農耕より狩猟採集のほうが、なかなか獲物が捕れない時に飢え死にしてしまうのではないかという不安、あるいは狩猟中に猛獣に襲われるのではないかという不安を感じる可能性もある。放送では、18000年前の狩猟採集民よりも7800年前の農耕民のほうが不安傾向の遺伝子スコアが高いという研究結果が紹介されていたが【出典はこちらと思われる】、データとして示された事実と、それに対する解釈については慎重に見極めていく必要があるように思う。

 あと、これも具体的な放送内容に合わせて考察していく予定だが、
  • 不安を感じやすいという性質を備えている人の比率が高い集団と低い集団があったとしても環境変化に生き残れるのかどうかといった致命的な違いをもたらすのか?
  • 不安を感じやすい人が多いと集団全体の役割分担に支障が出ることはないのか?
といった疑問もある。

 次回に続く。