じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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日曜日の午前中、『NHK将棋トーナメント』藤井竜王・名人vs佐藤康光九段戦をテレビで観戦した。 この日の解説者は永瀬拓也九段、聞き手は室谷由紀・女流三段であったが、永瀬九段の解説がなかなか面白かった。 放送では、予想手などの一般的な解説のほか、
ところで最近、棋譜利用に関する裁判が話題になっている。法律上の専門的なことは分からないが、私なりに素朴に考えると、
AIの進歩により最近ではプロ棋士の解説よりもAIに依拠したユーチューバーの解説のほうが最善手やいろいろな変化を分かりやすく学べるようになってきた。そうなると、プロ棋士による解説はこれまでのようなありきたりの解説では魅力に欠けるようになる。 そんななか今回の永瀬九段の解説は、藤井竜王・名人や佐藤康光九段と実際に対局した経験が豊富な豊富なプロ棋士でなければできない内容を含んでおり、ユーチューバーではできない魅力があった。最善手や変化の解説だけならAIでもできる。AIやユーチューバーではなくプロ棋士にしかできない解説とはどういうものか、今回の永瀬九段の解説はその可能性を示唆してくれた。 |
【連載】チコちゃんに叱られる! レトロなものが懐かしいのは「親が懐かしがってるから」という胡散臭い説明 昨日に続いて、2月7日(金)に初回放送された表記の番組についての感想・考察。本日は、
放送では、体験したこともないのにレトロなものを見ると懐かしいのは「親が懐かしがってるから」であると説明された。レトロ文化に詳しい浅岡隆裕さん(立正大学)&ナレーションによる解説は以下の通り【要約・改変あり】。
ではなぜ、じっさいに体験したわけでもない時代のことを懐かしいと感じるのはなぜか? 浅岡さんは、以下のように解説された。
ここからは私の感想・考察を述べさせていただくが、今回の解説はイマイチ納得できないところがあった。最大の理由は、 ●「親が懐かしがってるから」→子どもは「レトロは懐かしくてよいものだ」と刷り込まれる という説明を裏付ける証拠が充分に挙げられていなかったことにある。唯一?引用されていたのは ●「昭和30年代についてどこで知った?」という質問に対しては「親や祖父母から聞いた」と答えた人が半数以上の54%にのぼっていた。 という調査データであったが、「親や祖父母から聞いた」と答えた人が54%であったということは裏を返せば46%は親の影響を受けていないと言うこともできる。 親の価値観が子どもたちに受け継がれるというのも、部分的にはアリだろうが、どの程度の影響を及ぼしているのかは疑わしい。実際私なども、父親は高校の国語の教師であったが、私自身は国語、とりわけ古文が大嫌いであり、むしろ数学に興味を持っていた。また、それなりに反抗期もあり、中学生以降は親とは異なる価値観を形成していったように思う。 いずれにせよ「親が懐かしがっているから」という説明をするのであれば、例えば調査対象者とその親が好むレトロの内容の一致度、あるいは対象者とその親の接触の度合い【一緒に食事をするかどうかなど】を数量的に把握した上で、「レトロを好む親との接触が多い子どもほど、子ども自身もレトロを懐かしがるようになる」といった統計的な証拠を示してもらいたいものだ。 ちなみに、こちらの資料によれば、今回の解説者の浅岡さんは、社会学のご出身のようだ。私の現職時代にも同じ学部に社会学の同僚が複数在籍していたが、私は社会学というのがどういう学問なのかよく分からないままに定年退職を迎えてしまった。 こんなことを言うと怒られそうだが、社会学というのはやたら難しい概念を持ちだしてきて「社会」を大げさに捉えすぎているような印象をいだいてしまう。われわれが社会に依存し、特定の社会体制のもとで生きているのは確かだとは思うが、個々人の行動や価値観は言われているほどには「社会」に縛られていないように思う。 でもって今回のレトロの話題だが、私は別段、親が懐かしいと感じるかどうかには影響されておらず、そうではなくて私自身の子どもの頃の体験【昭和30年代の実際の暮らし】、映画などで観た江戸時代や明治時代の風景などからレトロに懐かしさや魅力を感じているのではないかと思っている。 なので、昭和の面影を残す町並みばかりでなく、江戸村や太秦のような後から再現した町並み、さらにはこちらのような海外の旧市街の町並みにも同じ程度の懐かしさを感じた。要するにアニメなどで一度は見たような風景、あるいは一度も見たことのないような異次元世界の風景にも同程度の魅力があり、それらは親が懐かしいと感じたかどうかとは全く関係がない。 |