じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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 2月18日の岡山は午後になって数回にわたり雪雲が押し寄せ、激しく雪が舞った時間帯があった。もっとも、気象庁の記録上の降水量は0.0ミリであった。
 写真は日没前の西の空。次の雪雲がこちらに向かっているところ。

2025年02月19日(水)




【連載】最近視聴したYouTube動画(6)岡田斗司夫さんの動画をもとに宗教について考察する(3)「前世」はあるか?

 昨日に続いて、最近視聴したYouTube動画の感想・考察。本日より、以下の動画について配信順に感想を述べさせていただく【随時追加あり】。なお2月14日にも述べたように、私は岡田斗司夫さんがどういう方なのかは殆ど存じ上げていない。なので、この連載で岡田さんの物の見方について意見を申し上げるような立場にはない。あくまで、岡田さんが動画の中で発せられたいくつかのポイントをネタとして「岡田さんは○○と言っておられたが私はこう考える」というように、岡田さんの言葉をお借りして私の考えの語彙を拡張することが目的である。
  1. 【10年前】前世が無いと報われない!?そんなこの世の考え方!!
  2. 【岡田斗司夫セミナー【岡田斗司夫 切り抜き】、2017年2月配信】●●な人ほど危険。人はなぜ宗教にハマるのか?【岡田斗司夫 切り抜き サイコパス 人生相談 宗教 統一教会 幸福の科学 カルト宗教 新興宗教】
  3. 【岡田斗司夫セミナー【岡田斗司夫 切り抜き】、3か月前】岡田斗司夫が神の存在を信じない理由がこちらです「この世の宗教とは全て”アテにならない攻略情報”なんですよ」【岡田斗司夫 / 切り抜き / サイコパスおじさん】
  4. 【サイコパスおじさん【岡田斗司夫 切り抜き】、3週間前】教義なし、創始者不明ー日本人だけが持つ特殊な宗教観。「神社などというものは本来存在しませんでした」「神道は世界で最も発達した宗教の一つです」【岡田斗司夫 / 切り抜き / サイコパスおじさん】
  5. 【初代としお専門切り抜き【岡田斗司夫】、10日前】宗教を信じてる人に絶対に言ってはいけないことがあります。僕らはチ。のような暗黒時代の中で生きている【魚豊/地球の運動について】【岡田斗司夫】
  6. 【岡田斗司夫マインド【サイコパス】、8日前】『人前では絶対言うな』神の存在や宗教について炎上覚悟でホンネをお話しします【岡田斗司夫 切り抜き サイコパス カルト 新興宗教 】


 ということで、まず、10年前に配信された以下の動画から取り上げさせていただく。

●【10年前】前世が無いと報われない!?そんなこの世の考え方!!

 この動画ではまず当時39歳の女性(漫画家)からのお便りが紹介されていた。その女性の論点は、以下のようなものであった【要約・改変あり】。
  1. この理不尽な世の中は、生まれ変わりを信じないと説明がつかない。
  2. 良いことばかりして早死にしてしまう人、生まれつき病気の人、才能がある人無い人、などは前世との関係があると考えないとこの世は残酷すぎる。
このことについての岡田さんの回答は以下の通りであった【要約・改変あり】。
  1. 投稿者は、前世がないと公平じゃないと考えている。
  2. その前提には「この世はザンコクです」という考え方がある。
  3. なんでザンコクなのかと言えば、前世に何か因果があったから、悪いことをしたから病気になったり運が悪かったり才能が無かったりする。宗教は概ねこの考え方に立つ。
  4. 「この世はザンコク」という考えに対して「この世はレリゴー(「Let It Go、ありのまま)という考えもある。運がいい人もいれば、何をやっても運が悪かったり嫌われる人もいる。このままを認めるしかないという考えもある。
  5. 「この世はレリゴー」という立場に立てば「この世は公平じゃない」は当然であり、前世なんか無いよということになる。
  6. 「コップに半分水がある」時に「もう半分しか水が無い」と考える人と「まだ半分水がある」と考える人がいる。これと同様、この世の中には差がある、生まれつき背の高い・低い人がいたり、綺麗な人・ブサイクな人がいることをザンコクだと考えると、そのザンコクには何か理由があるはずだと考えて「前世の因果」を信じることになる。いっぽうザンコクが世の中なんだという考えもある。動物の世界でも生まれつき不具合を持っている動物や長生きできない動物もいる。これが世の中のあり方なんだと考えれば、前世なんか無いということになる。
  7. 要するにこれは元々その人の心のありようの問題、物事の受け取り方の問題なので、無理やり理由をはめちゃったりすると前世とかの考えになってしまう。
  8. 別のところでも話しているが、ギリシャ時代やエジプト時代の全世界の人口は100万人とか1000万人ぐらいしか居なかったので、前世があったら【現代人のすべての人に対応する】人が足りなくなってしまう。現代人を70億人とすると、69億9000万人の魂はどこから来たんだよという矛盾が生じる。
  9. カルピスを薄める喩えのように、昔の人の魂は濃く、現代人は【それが分割されて薄められることで】魂が薄いというようなヘンテコな理屈になってくる。そんなおかしなことを考えるから変な宗教にハマってしまう。
  10. 【岡田斗司夫の話は宗教っぽいと言われることがあるが】「この世の中には理由がある」と言って「理由があるからこうだ、ここを断てばいいんだ」というような安易な言い方はしていない。そういう発想法が宗教になる。
  11. 「この世はレリゴー」という考え方は宗教じゃないので救いもない。「前世がある」というのはウソがあるから救いになるが、岡田の考える「レリゴー」のほうは救いが無いのでどうやっても宗教っぽくなれない。「救い」の代わりにできるのは「ちょっと楽にする」ことだけ。
 なお、今回取り上げさせていただいた動画とほぼ同じ内容(切り抜き)は、

【前世は存在し得るのか】岡田斗司夫の死生観と輪廻転生論について【岡田斗司夫切り抜き/切り取り/スピリチュアル】

にも収録されているが、これについては一部、次回以降に言及させていただく。

 ここでいったん私の感想・考察を述べさせていただくが、まずウィキペディアによれば、前世は以下のように説明されている。
  1. 前世(ぜんせ)とは、ある人生を起点として、それより前の人生のことを指す。古くは転生を内包するヒンドゥー教や仏教などの宗教的世界観のなかで認められ、加えて現代ではニューエイジや、スピリチュアリティによっても支持されている。少数の研究を除き一般に科学的には認められていない概念であり、個人が前世の存在を認めるか否かは内面の信条によって異なる
  2. インドでは、ヒンドゥー教でも前世が認められている。仏教では、三世のうちの過去世にあたる。インド起源の宗教に限らず、前世の記憶を持って生まれ変わったと主張する人は、古今東西に多い。
  3. また、現代の先進国に暮らし、物理科学と合理性を信奉し、転生や前世の存在を全く信じない人でも、退行催眠を受けている時に、本人としても思いがけず、前世を思い出すということが起きるとの報告がある。


 生まれ変わりという考えはチベット仏教では強く信じられており、以前NHKの番組で『リンポチェ』と呼ばれる『輪廻(りんね)の少年』という放送を視たことがあった。それを信じる人たちにはそれなりの充実したライフスタイルがあり、私自身は別段否定も肯定もしないし議論するつもりもない。

 前世や輪廻転生については私自身はこれっぽちも信じていない。
 その理由の1つはまさに岡田斗司夫さんが指摘されておられたように、人口の変化にある。大昔に比べれば現代の人口は爆発的に増えており、現代人1人1人に対応させようとしても「前世」が足りなくなってしまう。また少子化が進む今の日本では、逆に次に生まれ変わろうとしても「魂」を入れる器のほうが足りなくなって生まれ変われないことになりそう。

 もっとも上記の理屈はあまり本質的ではない。岡田さんが論じておられたように、一番の論点は、現代社会の不公平をどう受け止めるのかという姿勢にある。私が理解している限りでは「前世」という考えは、もともと貴族たちが自らの地位を保持したり、低い身分の人たちの反抗を抑えるために利用されてきた。現代社会の不平等の説明に「前世」を持ち込むと、格差社会は固定されてしまう。それよりも世界人権宣言の精神にのっとり、

●すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。 人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない。

という方向で社会制度の改革、平和の維持につとめる必要があるのではないかと思う。

 岡田さんの「レリゴー」という考えが、個人レベルでの運・不運のみに適用されるのか、それとも世界のどこかで戦争があっても人種差別や迫害があってもすべて「レリゴー」なのかは、今回の動画だけからは判断できない。私自身は、あくまで個人レベルに限定すべきだと思っている。

 なお、人類を含めて地球上の生物がすべて遺伝子情報を受け継ぎながら代を重ねているという意味では、遺伝子レベルでの生まれ変わりはあると考えることはできる。また今の自分の肉体を構成しているすべての分子は、大昔から地球に存在していた分子のリユースに過ぎない。
 もっとも、遺伝子レベルでは過去の体験までは引き継がれることはない。『チコちゃんに叱られる!』にたまに登場する「遺伝子に記憶されているから」というような進化生物学モドキは大概はインチキなこじつけに過ぎない。
 要するに、人が生きていくために基本となるような行動傾向、例えば食物を口にする、水を飲む、有害事象から逃れる、...といった傾向は次の世代に受け継がれる。その意味では、子どもは親と同じ行動傾向を持つという部分に限って代々生まれ変わっていると言ってもよいだろう。
 しかし、ご先祖さまの誰かと全く同じ顔であったとしても、好みがそっくりであったとしても、「じぶん」の同一性が継承されるレベルには至らない。いずれにせよ、私が誰かの生まれ変わりだったとしても、前世の情報が何1つ受け継がれていない【その情報を利用できない】のであれば、同一性を主張する意味は無い。
 このWeb日記で何度も指摘しているように、そもそも何かと何かが「同じ」かどうかは絶対的なものではない。私がよく挙げる例として「十円玉の同一性」がある。例えば自動販売機で十円玉を使う時には財布の中にある十円玉はどれも「同じ」と見なされる。いっぽうコインの収集家にとっては、特定の発行年の十円玉はそれ以外の十円玉と違って特別の価値を有するものと見なされる。昨日の自分と今日の自分が同じかどうかも同様であり、「同じ」と見なすことのほうが有用であるからそのように扱っているだけのことだ。【朝起きた時に妻が別人になっていたらエライことだし、会社や学校でも毎日「同じ人」が来なければ大混乱になる。殺人犯がいくら反省して別人になったとしても、社会的には許容されない。】
 「前世の自分」と「今の自分」が同じかどうかという議論も、何をもって「同じ」と見なすかに関わってくる。分子のリユースという点では生まれ変わりはあるかもしれないが、何百年の前に死んだ人と今の自分に同一性を見出そうとしても何のメリットも生じない。

 次回に続く。