じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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 2月25日の夕日。太陽の上の雲が光を反射して串団子のように見えた。

2025年02月26日(水)




【連載】チコちゃんに叱られる! どうしたら物事を長く続けられる?」

 昨日に続いて、2月21日(金)に初回放送された表記の番組についての感想・考察。本日は、
  1. 女学生が卒業式に袴をはくのはなぜ?
  2. なぜ寒いと手足が冷たくなる?
  3. ツバキが冬に咲くのはなぜ?
  4. 【視聴者の皆さんからのお便り】どうしたら物事を長く続けられる?
という4つの話題のうち最後の4.について考察する。

 この質問は放送の終わりのところの『ひだまりの縁側で…』のコーナーで、ゆかさん 5さい(+6さい)からのおたよりとして紹介されたものであり、原文は以下のような内容であった。

私はすぐにあきてしまいます。思い立ったが吉日で行動力はあるのですが、1ヶ月ほど経つと「なんかあきたなー」と思い、やめてしまいます。どうしたら物事を長く続けることができますか?

これに対するチコちゃんや岡村さんの回答は以下のようなものであった【要約・改変あり】。
  • チコちゃん:やめるっていうことをやめればいい。【やめるのではなく】「中断」っていう感覚? また思い立ったらいつでもできるよ、っていう状態にしておく。そうすれば趣味が広がる。
  • 岡村さん:ゴール決めといたら頑張れるんじゃないか。
  • チコちゃん:ゴールもちょっとずつがいい。

 以上のやりとりも大いに参考になるとは思うが、いろんなことに手を出したもののいずれも中断し何1つ長続きしないという恐れもあるように思う。

 ということで、隠居人として私の経験を述べさせていただくが、私はいろいろな行動が長続きできているほうではないかと思う。具体的には、
  • このWeb日記:1997年5月から 約28年
  • 楽天版じぶん更新日記:2005年1月から 約20年
  • X(旧ツイッター):2010年1月から 約15年
  • ウォーキング:2018年4月の定年退職以降は毎日7000歩目安。それ以前も徒歩通勤で毎日1万2000歩目安。 30数年
  • デジカメ:2000年8月のカラコルムハイウェイ旅行以降は、日常生活写真を含めて毎日撮影。写真はWeb日記に毎日掲載。 約25年
  • 観葉植物の世話:結婚以来続けている。40数年
  • 旅行:大学1年の頃から国内の山登りなど。その後海外旅行も。子育てとコロナの時期は休止していたが、50数年
などがあるかと思う。

 行動分析学の知見から言えば、長続きしている行動というのは必ず何かによって強化されているはずだ。もっともそれらが長期間に及ぶと、日常生活の中で完全に習慣化してしまい、何によって強化されているのか言語化できない場合もあるし、いくつかの結果あるいは成果が複合的に絡み合って強化をしているという場合もあるようだ。

 上掲のWeb日記執筆の場合、
  • ふだんの執筆は完全に日課の中に組み込まれていて、朝の6時〜8時頃の時間帯は、旅行先などで執筆ができないと手持ち無沙汰になってしまう。
  • 中長期的に見れば、Web日記は雑学的知識の備忘録として役立っている。最近は特に物忘れがひどくなり「それってテレビで見たことがあったけれどいつ頃どんな内容だったかなあ」とか「あれは何て呼ばれていたかなあ」とか、いろいろ思い出せないことが多いが、Web日記に書いておけば大概は簡単な検索で見つけ出すことができる。
  • 私の場合、アクセス数は全く気にしていないが、他の人が読んでくれて何かしら役にたててくれるならそれはそれで嬉しいとは思う。

 というようにWeb日記執筆は、習慣化、短期的な結果、中長期的な結果によって複合的に強化されているように思う。

 上掲のウォーキングは、植物園を訪れていることもあり、毎回、開花や紅葉といった新しい発見がある。中長期的には健康保持という大きな結果が伴っているはずだが、これは「ウォーキングは健康増進によい」というルール支配行動的な強化かもしれない。
 そのほか、
  • デジカメは日々遭遇する珍しい光景や花などの記録
  • 観葉植物は「観葉」自体の結果、植物の成長
  • 旅行は【私に限っては】地球離れした非日常的な世界の体験
などの結果がそれぞれの行動を強化していると言える。
 もっとも私の場合、行動が長続きしている背景には、「新しいことにはなかなか手を出さない」、「興味の持てない世界には一切関わらない」、といった保守的で頑固な側面もあるとは思っている。例えば、富裕高齢者に人気のあるゴルフは一度もやったことがないし、地域の高齢者の人たちのサークルにも全く興味がない【他者と関わること自体が煩わしい】。今やっていないことに目移りしないぶん、少数種類の行動が長期間続いているとも言える。
 それでも私の場合、現職時の研究領域とは全く異なる世界(例えば宇宙、数学、地理、歴史、健康、言語など)にもそれなりに関心が広がっている。私とは異なり、生涯にわたり専門分野だけに没頭している人もおられるとは思う。いずれにせよ、関心領域を広げようとすれば必然的に「広く浅く」ならざるをえず、あまりにも広げると、当初興味のあった世界から遠ざかることで結果的に長続きしないということはあり得るだろう。

 この日記にも何度か書いているが、行動分析学の知見から言えば、行動が長続きしないのは、根性が無いからでも自覚が足りないからでもなく、ただ1つ、その行動が適切に強化されていないためであると考えられる。「適切に強化されていない」というのは、その行動の直後に適切な好子が随伴していないということ。例えば毎日30分英会話の勉強をしたからといって、たまたまその日にであった外国人と円滑な会話ができるようになるわけではない。英会話力は、中長期的、例えば半年も経てばかなりアップしているだろうが、「毎日30分の勉強」をするたびに「英会話力向上」という結果が随伴しているわけではない。そういう場合は、「毎日30分の勉強」に対して別の好子を付加する必要がある。勉強するたびにカレンダーにシールを貼る、といった形で可視化したり、そのカレンダーを家族の目につく場所に掲げれば、それなりの強化が期待できる。シールが10個たまったら自分にご褒美を与えるというセルフ強化もあるが、そこまでしなくてもシールだけで長続きする可能性がある。

 いずれにせよ、何かを長続きさせようと思った時には、
  1. その行動を続けていくと、中長期的に自分はどのように変わっていくだろうか?
  2. 毎日その行動を続けた場合、そのつどどういう結果が生じているか?
を点検することをオススメする。点検したところ、日々の行動に何も結果が伴っていないことが判明した場合は、人為的に何らかの結果を付加することが有効になる。但しそうした付加は過渡的なものであり、いずれは自己完結的に強化されるようになる場合もある。ピアノを習いたての頃は、シールを貼るとか褒めてもらうといった付加的な強化が必要な場合もあるが、ある程度上達すると、自分で奏でる名曲を耳にすること自体が好子として機能する【ピアノを弾く→美しいメロディ】ようになるだろう。お絵かきも同様で、ある程度上手に絵が描けるようになれば、完成した作品自体が制作行動を強化するようになる【←内発的動機づけではなく、「絵を描く→作品完成」による強化】。

 なお上にも述べたが、関心領域が広がれば広がるほど興味を失う領域もまた増えていく。日々の生活は物理的な時間により限られているので、1つや2つの行動に専念すれば長続きするいっぽう、10や20もの領域に手を出せば当然優先順位がつけられ、順位の低い行動は続けられなくなってしまう。ま、自分の可能性を知るために当初はいろいろな世界に手を出し、少しずつその種類を減らして自分に合ったライフスタイルを構築していけばそれでよい。その意味では、過渡的に「長続きしない」行動がいっぱいあっても気にする必要は無いが、逆に何1つ興味が持てないというのであればそれも困る。どんな世界でもその魅力は奥深いところにあり、それを極める前に入口付近で撤退してしまうことがあれば残念なことだ。