じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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 昨日の日記で『馬鹿』の語源の話題を取り上げた。放送ではその解説の中で

紀元前210年ごろの中国・秦の時代に、家臣の趙高が自分に忠誠を誓う家臣団がどれほどいるのかを見定めようと、鹿の置物【←放送ではシカのおもちゃ】を見せて、「これは馬だ。お前はどう思うか?馬か鹿か?」と、自分の言うことに100%従う家臣かどうかをテストした。

という寸劇が行われたが【写真上段、中段】、CGにしては本物すぎるし、中国や台湾でロケを行うほどの制作費は無いはずなので、国内のどこで撮影されたのか疑問が生じた。

 ネットで検索したところ、この寸劇のロケ地は埼玉県・坂戸市にある『五千頭の龍が昇る聖天宮』という日本最大級の道教建築であることが分かった。リンク先によれば、
  • 聖天宮は台湾人貿易商の康國典の大病治癒の記念として、私財を投じて建立された。
  • 神託により、建立の地として台湾ではなく日本の坂戸市が選ばれた。
  • 台湾から多くの装飾品や調度品、宮大工を手配し、建立に15年を費やし、1995年に開宮した。道教建築として日本最大級。
  • 聖天宮は一般の見学や拝観を受け入れており、来訪者の多くは日本人の観光客であるという。
  • 約7,000坪ほどの広大な境内は、太極拳大会などの地域のさまざまな催しに利用されている。また、特色ある建築とゆとりある敷地はテレビ番組の各種ロケ撮影やコスプレイヤーの撮影スポットなどとして人気を集めている。

 なおウィキペディアによれば、教団としての「道教」は、後漢末期から魏晋時代にかけての張角の太平道と張陵の五斗米道に始まるとされる。 いっぽう、趙高のエピソードは秦の時代なのでそれより前の時代であり、王宮の建築様式は聖天宮の道教建築とは異なっていたはず。中国の建築に詳しい人が今回の寸劇を見ていたら「秦の王宮はこんな建物ではなかった」と違和感を覚えたことであろう【日本に当てはめれば、平安神宮の前で新選組が行進しているような風景か】

 念のためCopilotに『聖天宮』は宗教法人ですか?と尋ねたところ以下のような回答をいただいた。
はい、埼玉県坂戸市にある聖天宮は宗教法人として設立されています。昭和55年(1980年)に宗教法人として認可され、昭和56年(1981年)に着工、平成7年(1995年)に開宮しました。 聖天宮は道教の施設であり、台湾の貿易商であった康國典氏が大病を克服したことへの感謝として建立したものです。道教の最高神格である三清道祖を祀っており、日本国内では珍しい規模の道教建築です。

 さらに「秦の始皇帝の時代の王宮のロケ地として聖天宮が使われていましたが、王宮の建築と聖天宮の道教建築は似ているのでしょうか。大きな違いがあれば教えてください。」と尋ねたところ、以下のような回答をいただいた。
興味深い視点ですね!秦の始皇帝の時代の王宮建築と聖天宮の道教建築には、いくつかの共通点と大きな違いがあります。
  • ### **共通点**
    1. **壮麗な装飾**: どちらも細かい彫刻や華やかな装飾が施されており、権威や神聖さを象徴しています。
    2. **瓦屋根**: 秦の宮殿も聖天宮も瓦葺きの屋根を採用しており、中国建築の伝統を受け継いでいます。
    3. **広大な敷地**: 阿房宮(始皇帝の宮殿)は東西約1200m、南北約400mの規模を持ち、聖天宮も約7000坪の敷地を誇ります。
  • ### **大きな違い**
    1. **建築目的**:
      - **秦の宮殿**は皇帝の居住と政務の場として建設されました。権力の象徴であり、政治的な機能を持っていました。
      - **聖天宮**は道教の神々を祀る宗教施設であり、信仰の場として建立されました。
    2. **構造と配置**:
      - **秦の宮殿**は広大な敷地に複数の建物が配置され、行政機能を持つ建築が多かった。
      - **聖天宮**は道教の伝統に基づき、三清道祖を祀る本殿を中心に、鼓楼や鐘楼などの宗教的な建築が配置されています。
    3. **思想的背景**:
      - **秦の宮殿**は皇帝の絶対的な権力を示すための建築であり、儒教的な秩序を反映していました。
      - **聖天宮**は道教の神仙思想に基づき、不老長生や宇宙の調和を象徴する建築様式を採用しています。

聖天宮が秦の宮殿のロケ地として使われたのは、その壮麗な装飾や中国伝統建築の雰囲気が、始皇帝時代の宮殿のイメージに近かったからかもしれませんね。こうした文化的なつながりを考えるのは面白いですね!さらに深掘りしてみますか?


※写真下段はGoogleEarthによる。


2025年04月5日(土)




【連載】チコちゃんに叱られる! コピー機の仕組みとペーパーレス化

 4月4日(金)に初回放送された表記の番組についての感想・考察。この日は、
  1. コピー機でコピーができるのはなんで?
  2. なんで「ウ」にてんてんをつけるようになったの?
  3. リンパってなんなの?
という3つの話題が取り上げられた。本日はこのうちの1.について考察する。

 コピー機でコピーができる理由について、放送では「光で静電気を操っているから」と説明された。解説は長澤光晴さん(東京電機大学)。なお、この番組では解説者が大学の教員の場合は、「○○教授」とか「○○准教授」というように職種をつけて呼ばれていたが、今回はなぜか『長澤博士』というように学位をつけて呼ばれていた。念のため東京電機大学の教員紹介ページをチェックしたが、長澤先生も教授であり、わざわざ「教授」の代わりに「博士」と呼ぶ必要はないように思われた。なお、このWeb日記では以前は、解説者のお名前のあとに「教授」とか「先生」をつけて表記していたが、現在は原則としてすべて「○○さん」に統一している。理由は、解説者が大学教員の時だけ「先生」をつけて、それ以外の解説者(企業の研究員、在野の研究者など)の時に「さん」をつけるのは、何だか肩書きで区別をつけているような気がして違和感を覚えたからであった。

 元の話題に戻るが長澤さん&ナレーションによる解説は以下の通り【要約・改変あり】。
  1. コピー機は光を利用して静電気を操り写し出している。
  2. この仕組みを利用したコピー機を発明したのは、チェスター・F・カールソン。1934年、アメリカで特許に関する仕事をしていたカールソンには、手書きで書類を複製するのに面倒くさいという悩みがあった。特許申請をする文書は、それまでは文字はタイプライターで打ち込み、図面は手書きで書き写さなければならず、多くの時間と労力がかけられていた。
  3. カールソン自身は技術者ではなかったが、それまでに特許申請された発明技術を取り入れて、光と静電気を使った画期的なコピー法を開発した。
  4. 放送では『わくわくコピー体験教室』と称して、身近な物を使って、コピー機の仕組みを理解するための実験が行われた。
    • まずは静電気でコピーの原版を作る。用意するのはプラスチック製の板、布、詰め替え用トナー(粉インク)。
    • プラスチック製の板を布でこすって文字を書く。
    • 板の上にトナーをふりかける。
    • 板を立てて、余分な粉を吹き飛ばす。
    • 板の上に紙を乗せて、上からアイロンをかける。ちなみにこのトナーは120℃で融ける。
  5. 実際のコピー機にはアルミなどでできた『感光体ドラム』があり、静電気をためることができる。
  6. 感光体はマイナスの静電気を帯びており、光が当たる部分では静電気が消えるが、光が当たらない暗い部分では静電気が残るという性質がある。
  7. コピー機の中にはレンズがあり、光を集めることで文字を映し出すことができる。
  8. マイナスの静電気を帯びた感光体に光とレンズにより文字を映し出すと、光の当たった部分は静電気が無くなるが、黒い影の部分だけ静電気が残る。
  9. 静電気が残った部分にプラスの電気を帯びた黒いインクをくっつけることでコピーができる。
  10. 今のコピー機は、光を使い、原稿からセンサーで文字を読み取った後、そのセンサーで光と影に変えた文字データをレーザーで感光体ドラムに照射、そのドラムが回転すると、マイナスの電気を帯びた部分にプラスの電気を帯びたトナーがくっつくので、一瞬にしてコピーをすることができる。


 ここからは私の感想・考察を述べさせていただくが、国産コピー機の開発については以前、プロジェクトXで取り上げられたことがあった。

●#101【2002年11月5日初回放送】突破せよ 最強特許網 新コピー機誕生:キヤノンの完全国産複写機

その時のメモ・感想は2022年5月27日の日記にある。その一部を以下に再掲する。
この頃日本国内ではカメラ市場が行き詰まっていたころから、生き残りをかけて国産複写機の開発に取り組んだ。しかし元祖のXerox社は300件の特許を有しており、それを侵害すれば莫大な賠償金を取られる。さまざまな困難を克服し、NP-1100という国産複写機が発売されたのは1970年9月であった。しかしゼロックス社の力は強大で、実際に製品には使われていない特許まで持ち出して争う姿勢を示した。ゼロックス社の特許は「感光体に光をあてる」という技術でありこれには「同時にあてる」も含んでおり、CANONの「同時にあてる」方式は侵害になるというものであった。これに対して、実際にはゼロックス社の方式では同時にあてても画像は出ず、CANONの特許は取り消されなかった。その後、日本メーカーの生産台数は300万台を超え、アメリカを抜いて世界一の複写機大国になったという。田中宏さんは、その後アメリカの学会からカールソン賞を受賞した。カールソンという名前は、かつてゼロックス社にコピー機の原理を提供したチェスター・カールソン氏であった。また、CANONは、アメリカで1987年には846件の特許を取得し、なみいる世界企業を抑えて頂点に立ったという。
今回の解説で「感光体に光をあてる」ことが静電気消去に繋がることは分かったが、上掲の「同時にあてる」と「同時にあてない」が何を意味するのかはまだ調べていない。

 2022年5月27日の日記に記したように、私が大学・大学院に通っていた頃(1971年〜1980年)は、演習で使うレジュメは「青焼き」(湿式、ジアゾ式)、雑誌論文は感熱式のコピーを使うことが多かった。但し、卒論や修論提出の際にはゼロックスでコピーをとっていた。
 当時「青焼き」は劣化しやすいと言われていたが、ファイルに収納して書庫で保管してた資料などは保存状態がよく、定年退職時(2018年)でもちゃんと残っていた。但し退職前には、必要な資料のみPDF化して、紙の資料は殆どすべて廃棄したので何十年先まで保管可能なのかは分からなくなった。

 あと、時期ははっきり覚えていないが、授業用配布資料などは、普通紙の原版をガラス面に置いて読み取り、そのまま輪転機で印刷する方式のほうが主流になっていた。こちらのほうがコストが安く、かつ高速で印刷できた(←たまに紙詰まりもあったが)。もっともその後ペーパーレス化が進み、配布資料はネット上に掲載し必要に応じてダウンロードしてもらうという方式に切り替えられていった。また、私が定年退職した頃には、会議資料はほぼ100%ペーパーレス化し、オンライン配布となった。

 ということで、いまの時代、スキャナーはまだまだ必要であるいっぽう、読み取った画像を紙に印刷することは殆ど無くなった。今でも私自身がコピー機を必要とするのは、終身型財形年金の生存証明のために毎年1回免許証のコピーを郵送することぐらいになっている【←これだってスマホやデジカメで撮影した免許証の画像ファイルを送信すれば済むはずだが、保険会社は今のところそういう便宜をはかってくれていない】。

 次回に続く。