じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
※クリックで全体表示。 |
元日から早くも2週間が経過した。写真は1月1日と1月14日の日の入りの比較。元日には『京山皆既日食現象』が見られたが、1月14日の日没の方位は右側(北側)に移動し、時刻も遅くなっていた【但し、雲が出ていたため日没の瞬間は見えなかった】。 |
【連載】NHK『ダークサイドミステリー 神秘の古代ミステリー 徹底検証!日本・ユダヤ同祖論(4)六芒星と五芒星、秦氏と景教、狛犬と赤い鳥居 1月11日に続いて、2024年11月29日に再放送された表記の放送についてのメモと感想【初回放送は2023年7月13日】。 前回までのところで、日本語とヘブライ語の単語が似ているように見える理由として、
放送ではこれに続いて、「日・ユ同祖論」が次々と反駁されていった。 まず1月9日に取り上げた神社の「六芒星」【山梨県笛吹市の甲斐国一宮・浅間(あさま)神社の成就石の中央に刻まれた模様】については宮司の古屋真弘さんから、
六芒星と同じ紋様は籠の網目から目が覗く形と同じであり、魔除けに使われるなど、日本の歴史上さまざまな用途で使われてきた。要するに、六芒星の形は日本古来の独自の文化という身近な由来だけで説明がつくのに、わざわざユダヤのような遠くにある場所に原点を求めるのは強引過ぎると指摘された。 なお1月9日の日記で、五芒星の模様が安倍晴明のマークとモロッコの国旗で共通していると述べたが、念のためCopilotにルーツが同じかどうかを尋ねたところ、以下のような回答をいただいた。 安倍晴明の五芒星(五芒星、またはセイメイ星)は、日本の陰陽道に由来し、魔除けや護符として使われてきました。一方、モロッコ国旗の五芒星(五角形の星)は、1915年に導入され、イスラム教の象徴として使用されています。これらの星は形が似ていますが、ルーツや意味は異なる文化的背景に基づいています。 ちなみにモロッコの国旗の五芒星は「スレイマンの印章」という国家安泰の象徴であるという。よく見ると五芒星を構成している直線は立体交差しており上下関係が固定されている。いっぽう晴明神社の公式サイトに描かれている五芒星は平面的で立体交差にはなっていない。なお昨年10月28日に述べたように、10月25日初回放送の『チコちゃんに叱られる』の『ひだまりの縁側で…』で「星の書き順でわかる」という胡散臭い性格テストモドキが紹介された。任意の団体が独自の考えに基づいて占いや性格テストモドキを宣伝するのは勝手だが、公共放送たるNHKが裏を取らずにその中の1団体の説を無批判に垂れ流すというのはいかがかと思いNHKにクレームを出したが、その後何の音沙汰もなく完全に黙殺されてしまった。 もとの話題に戻るが、放送では続いて、 ●秦氏は「失われた10支族」の流れをくみ景教やユダヤの文化を日本に持ち込んだ。 という説が反駁された。 放送によれば、『正訂 新撰姓氏録』など日本に残された記録によれば、秦氏は5世紀ごろ、応神天皇の時代に大陸から帰化したとされている。偽史研究家・文筆家の長山靖生さんによれば、景教が中国に入ってくるのは7世紀頃であり、秦氏が日本に渡来した5世紀頃よりは後になっており順番が逆。また、 ●【秦氏ゆかりの】京都太秦の三柱鳥居は「三位一体」を表している。 という説については、もともとその場所から湧き出していた泉を「神が宿る場所」ととらえ、それを囲むように鳥居が作られたと考えられているという。 さらに、 ●『大辟(おおさけ)神社』の「大辟」と『ダビデ王』、『いさら井』と『イスラエル』の発音が似ている。 という説については、なんとなく似ているという印象以上には証拠が無く、結局、秦氏に関する諸説は不確かな印象に基づく「証拠」を寄せ集めたものに過ぎないと断定された。 最後に挙げられた2つの「証拠」のうち、 ●狛犬の発祥は古代イスラエル神殿のライオン像 については、
もう1つの、 ●鳥居が赤いのは、【古代イスラエルで】玄関を羊の血で赤く塗った説話に由来 については、
日ユ同祖論の「根拠」については、今回の放送で取り上げられた以外にも、
ここでいったん私の感想・考察を述べさせていただくが、上掲のように、日ユ同祖論の「証拠」は、その気になればいくらでも集められそうである。しかしそれらは雑多な事例の中で、自説に都合のよい事例だけをつまみ食いしたようなもの。これは、私が長年批判してきた血液型性格判断の喧伝者と同じロジックであり、要するに、血液型の違いによって顕著な偏りがある事例ばかりを集めてきて、それらに、血液型別の雑多な特徴の中から都合の良さそうな特徴をこじつけて「だから血液型性格判断は正しい」と誇張しているだけのことである。科学的態度として求められるのは、
話が血液型関連の横道に逸れてしまったが、元の話題に戻ると、純粋に学術的な興味だけから日ユ同祖論が論じられるようになったとは考えにくい。そういう主張をもてはやすような背景として何があったのか、主張をする人にとってどういうメリットがあったのかを分析する必要がある。放送の後半では、そうした問題が詳しく取り上げられていた。 次回に続く。 |