【連載】あしたが変わるトリセツショー「新・瞑想」(3)マインドフルネスによるうつ病の再発予防/雑念と拡散的思考/仏教の瞑想との違い
昨日に続いて、2024年7月11日に初回放送された、
●#72 さらば!イライラ不安「新・瞑想」のトリセツ
についてメモと感想。
放送では続いて「ハットくん」が登場。ハットくんというのは脳の島皮質などの部分で
●雑念にハッと気づいて目の前のことに意識を切り替える
という役割を果たす。瞑想で雑念から今に意識を切り替える訓練により、ハットくんが鍛えられる。じっさい、
●Lazar et. al (2005). Meditation experience is associated with increased cortical thickness. Neuroreport.16, 1893-1897.【無料閲覧可】
によれば、瞑想経験が長い人は島皮質が分厚いことが分かったという。例え話ではあるが、筋肉は使うと厚みが増すが、それと同じように脳も使うと太ってくると解説された。
マインドフルネスは医療の現場でも取り入れられており、うつ病の再発予防などストレスが関わる病気への効果が認められている。さらには「創造性のアップ」にも効果があり
、瞑想を始めてからグッドデザイン賞をもらうことができたという話や液晶ディスプレイの画期的な活用法を考案した話が紹介された。また、
●Schootstra(2016). Meditation for ideation: How mindfulness meditation affects divergent thinking. 【出典不明】
によれば、瞑想をした群は瞑想をしなかった他の2群に比べて多様なアイデアを生み出す範囲が22%も広がったという。
こうした研究成果を受けて、今では大手広告会社の研修でもマインドフルネスが取り入れられているという。
ここまでのところでいったん私の感想・考察を述べる。
まず、マインドフルネスがうつ病の再発予防に役立てられているとのことだが、専門的なことは分からないのでChatGPTに尋ねたところ、以下のような回答をいただいた。
マインドフルネスがうつ病の再発予防に役立つ理由は、主に以下のような心理的・生理的メカニズムによるものです。
- **自動思考への気づきを高める**
うつ病の再発には、「自動思考」と呼ばれるネガティブな思考の反復が関与しています。たとえば、「自分は価値がない」「どうせまた失敗する」といった思考です。
* マインドフルネスは、そうした思考が起きたときに「それに気づいて」「とらわれずに」「ただ観察する」練習です。
* これにより、思考の「巻き込まれループ」から抜け出すことができます。
- **反応ではなく観察を学ぶ**
うつ病の再発リスクが高まるのは、嫌な感情や体の違和感(例:倦怠感、無力感)に対して「また始まった」「悪化するに違いない」と自動的に反応するパターンがあるからです。
* マインドフルネスでは、感情や身体感覚を評価せずに「今ここ」にとどまり、「反応しない態度」を養います。
* このことで、悪循環(感情→思考→行動→さらに悪化)を断ち切る力が育ちます。
- **再発トリガーへの耐性を高める**
再発の引き金になるストレスや人間関係の問題に対して、マインドフルネスは以下のように働きます:
* **注意の柔軟性**:注意を「問題」ではなく「呼吸」や「身体感覚」に向けることで、一時的にストレスから距離を取る。
* **感情調整力の向上**:強い感情に呑み込まれず、ゆっくり観察することでコントロールしやすくなる。
- **「今ここ」の体験に根ざす生活習慣の形成**
うつ病は、過去への後悔や未来への不安に思考がとらわれやすい病です。
* マインドフルネスは、「今、ここ」に注意を戻す訓練を重ねることで、思考の偏りを弱め、現実感を取り戻す助けとなります。
- **科学的エビデンスの裏付け**
* マインドフルネス認知療法(MBCT:Mindfulness-Based Cognitive Therapy)は、過去に3回以上うつ病を経験した人の**再発率を約半分に下げる**効果があると報告されています。
* 脳科学的には、マインドフルネスによって**扁桃体の活動が抑えられ、前頭前野(感情制御に関わる部位)が活性化する**ことも示されています。
次に、瞑想と拡散的思考との関係だが、またまたChatGPTに、以下のような質問をしてみた。
以下の論文では瞑想が拡散的思考に好影響を与え、より広範・多様なアイデアを生み出すと論じられているようですが、多様なアイデアというのは雑念やそこからの派生によって生まれるものではないでしょうか? もしそうであるなら、瞑想は新しいアイデアを浮かびにくくしてしまうように思いますが、どうでしょうか?
●Schootstra(2016). Meditation for ideation: How mindfulness meditation affects divergent thinking.
いただいた回答は以下の通り。
とても鋭いご指摘です。Schootstra (2016) の論文が述べる「瞑想が拡散的思考(divergent thinking)を促進する」という主張と、「瞑想は雑念を減らす」という一般的理解との間には一見すると矛盾があるように思えます。しかし、この矛盾は「どのような種類の瞑想か」と「どのような雑念か」に注目することで整理できます。
### ■ 結論から言うと:
**瞑想は「雑念を抑える」のではなく、「雑念にとらわれない心の状態(メタ認知的なゆとり)」を育てるため、**
**結果として「自由な連想や多様なアイデアの生成を促進することがある」ということができます。**
### ■ 雑念とアイデアの関係
確かに、多様なアイデア(divergent ideas)は、しばしば「連想」「脈絡のない思考」「予期しない結びつき」などから生まれます。これは、雑念的な思考にも似ています。
しかし、ここで重要なのは:
* **雑念に巻き込まれて思考が散漫になること**と、* \*\*意図的に注意を緩めて広範囲に思考を巡らせること(拡散的思考)\*\*は異なる、という点です。
### ■ 瞑想の種類による違い
Schootstra (2016) の研究でも触れられているように、「マインドフルネス瞑想(特にオープン・モニタリング型)」は次のような特徴があります:
| 瞑想タイプ | 代表的特徴 | 拡散的思考との関係 |
| ------------------------------ | ---------------------- | ------------------------ |
| フォーカス瞑想(Focused Attention) | 呼吸などに意識を集中し、注意の安定性を高める | 収束的思考に有利だが、拡散性はやや抑制される傾向 |
| オープン・モニタリング瞑想(Open Monitoring) | 思考・感覚・感情を評価せず観察し流す | 自由連想や多様なアイデア生成を促進する |
Schootstra の研究では、主に後者の「オープン・モニタリング瞑想」が**多様なアイデア生成(=拡散的思考)を促進した**という結果を報告しています。
### ■ 雑念とどう付き合うかが鍵
つまり、瞑想は雑念を完全に排除するのではなく、
- 雑念が浮かんできたときにそれに巻き込まれず、
- 評価せずにただ観察することで、
- 脳が自由に思考を展開する空間を確保できる
というメカニズムで、結果的に創造的な発想がしやすくなるのです。
### ■ まとめ
あなたの直観(「雑念がアイデアの源になるのでは?」)は正しい一方で、瞑想はそれを**抑えつけるのではなく、雑念に飲まれずうまく活用する心の状態をつくる**と考えると、この矛盾は解けます。
瞑想がアイデアを妨げるのではなく、「雑念を選別し、保持せず、活用できる状態」に整える、というのが近年の認知心理学や神経科学的な理解です。
最後に、仏教の瞑想とマインドフルネスとの関係について。この話は2022年1月25日の日記で引用させていただいたように、蓑輪先生からの説明があった。以下はその抜粋。
- マインドフルネス瞑想は「価値判断をいれずにありのまま見ること」と定義されており、観察の技法という点から見れば、【仏教の瞑想もマインドフルネスも】どちらも同じものと言っていい。
- しかし、仏教が見ている世界では、瞑想は一つの手段であり、ものの見方とか社会での生き方になっている。仏教の場合には、(瞑想と)「慈悲」がいつもセットになっている。自分たちの生活を戒律により律していくというというように、いろいろなものと一緒になって心の観察が行われる。悩み苦しみを越えていくというのは確かに大事な点であるが、(瞑想が)テクニックとしてだけ使われるとすると問題点もある。
- マインドフルネス瞑想はアメリカの軍隊で使われている。戦闘の現場に出かける前にマインドフルネス瞑想を行い、凄惨な体験がもたらすPTSDを起こしにくくするという訓練であるというが、これはよく考えてみれば人間を殺人マシンに作り上げようとしているものとも言える。
- 瞑想は湖でボートを漕ぐ時の漕ぎ方のようなものであり、どこに行くかはその人の意図によって変わってくる。意図をきちんと大事にしていく必要がある。仏教では「他者性」がきちんと担保されていて、どうあるべきかがきちんと出されている。
- 【仏教の瞑想は】使い方の指針もしっかりと示している。先ほど挙げた軍隊でのマインドフルネス瞑想の話があったが、仏教ではまず第一に人をあやめてはいけないという戒律がある。個人を越えて、人間というのは一人では存在しえない、他者との関わりのなかで社会を構成し、その社会の中でどうあるべきかをちゃんと見据えている。
- 「心の師となるも心を師とすることなかれ」。まずは自分を整えて、社会の中でどう活躍できるのか、そこでできることは自分の生きている意味みたいなものをあとで自覚することに繋がる。仏教はそうしたことを伝えようとしていたのではないか。
次回に続く。
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