じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] [今日の写真] 川蔵公路をミ・ラ(峠)に向かって西に進んでいるところ(写真左)。ずいぶん昔にもよく似た景色を見たことがあるぞと思って帰国後にアルバムをめくっていたら、右のような写真が見つかった。インド・ザンスカール地方トレッキングの時に撮影した写真(1982年8月)。


1月27日(木)

【ちょっと思ったこと】

マックホルツさんと怪鳥さん

 昼食時に視たFNN系のニュースで今回話題の彗星の発見者マックホルツさんのことを取り上げていた。マックホルツさんは、アメリカ・カリフォルニア州に住むアマチュア天文家である。最近は、「ニート」彗星や「リニア」彗星というように、ハイテクを駆使して機械的に発見される彗星が多いように思うが、そんななかで、クリスマスに200ドルで買ったという小型望遠鏡を使った人間味のある発見がなされたということはそれだけで素晴らしい。ネットを検索したところこちらに紹介記事があった。

 番組ではほかに、小学校で行われた観望会の様子も紹介していた。インタビューに答えていたのは、私のサイトからもリンクのある怪鳥さん。奥さんのリトルさんの日記にその時の写真が掲載されている。

 今回のマックホルツ彗星は、夕食後でも真夜中でも見えるという点で、これまでの肉眼(で見える)彗星とはちょっと異なっている。早起きをする必要も無いし、夕刻、西の空が開けた場所に出向かなくても、双眼鏡1個で簡単に見える。28日あたりからは月明かりの影響も減ってくるので、空が晴れていたらまた眺めてみたいと思う。

【思ったこと】
_50127(木)[心理]卒論へのヒント(2)曖昧表現を避ける

 昨日に続き、卒論に関する話題。

 卒論に限らず、確かな証拠も無いのに断定的な結論を下すのは科学論文とは言えない。しかし、だからと言って

  • 〜であろう
  • 〜のようである
  • 〜といえるだろう
  • 〜といえるかもしれない
というような遠慮がちの表現ばかりに終始するのもよろしくない。断定的表現を避けよというのは、他の可能性についても頭ごなしに否定せず、多角的に検討する必要があるという意味であって、すべてを曖昧にしてよいという意味では決してない。

 このことで思い出すのは、若者におけるぼかし言葉の多用である(2000年5月24日の日記2000年6月11日の日記参照)。そこで言及されていた「ボク的には(わたし的には)」という表現と、上記のような曖昧表現はやや意味合いが違うが(自分は自分という考え方か、主張自体が曖昧なのか)、いずれにせよ、科学論文ではできる限り避けることが望ましいと思う。

 少々ズルイやり方になるが、「〜だろう」という代わりに「〜という可能性が高い」、「〜かもしれない」の代わりに「〜という可能性がある」などと書くと、いくらか論文らしく見えてくる。但しその場合も、どのくらいの可能性があるのか、他にどういう可能性があるのかを明記しておくべきである。