じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 2003年4月25日2006年5月30日の日記で述べたように、岡大・文法経講義棟の入り口付近では道路いっぱいにはみ出す迷惑駐輪が横行し、緊急時の避難や各種運送用車両の通行の重大な妨げになっていた。しかし、国際交流会館建設工事開始後から交通整理員が常駐することにより所定場所への駐輪が徹底されるようになってきた。最近では、パーキングロック実施により、指定枠から少しでもはみ出した駐輪には鎖をかける措置がとられているようである。

 2003年4月25日の日記でも論じたように、こういう場面ではいくら「モラルを守ろう」などと説いても効果は少ない。迷惑駐輪が発生するのは、講義棟の前で突然モラルが消失するためではない。入り口付近に駐輪したほうが利便性があり、かつすでに多数が駐輪していて、1人の人間の行為の結果がが見えにくくなっているためである。こういうケースでは、モラルや自覚を説いても限界があり(過半数には有効かもしれないが、少数者の違反行為をゼロにすることはできない)、むしろ、十分に警告した上で、迷惑駐輪自転車をワイヤーでロック、あるいはタイヤの空気を抜いてしまう(空気ポンプは教務で念書と引き替えに貸し出し)という強硬措置をとることである。あるいは、キャンパス景観の悪化を承知で出入り口付近の植栽をすべて取り払い、いちばん便利な場所を駐輪場に改装することである。


6月15日(水)

【思ったこと】
_b0615(水)2011年版・高齢者の心と行動(17) 「楽しい」、「嬉しい」、「喜ぶ」の違い(3)辞書による説明

 昨日の日記続き。

 今回は、辞書で、それぞれの言葉がどのように定義・説明されているのかを引用したい。




 まず、「楽しい」について、『新明解』(三省堂)では以下のように定義されていた。
  • 充足感が味わえるものとして、その状態を積極的に受け入れたい、出来ることならそれを持続したい気持ちだ。
  • (楽しむ)そのような状況に身を置く(何かをする)ことによって、楽しいという気持ちを抱く。
次に『大辞林』では、
  • 心が満ち足りて,うきうきするような明るく愉快な気分である。「家族そろっての―・い夕食」「―・く遊ぶ」「旅行は―・い」
  • 食物などが十分にあって快い。
  • 富んでいる。豊かである。〔主に自分の行動を通して持続的に感じる快さをいう語。その快さが物質的な裏付けを伴った場合の意に転ずる。
とされていた。

 次に、「嬉しい」については、『新明解』では
  • 自分の欲求が満足されたと感じて、その状態を歓迎する気持ちだ。
 また、『大辞林』では
  • (望ましい事態が実現して)心がうきうきとして楽しい。心が晴れ晴れとして喜ばしい。 【反対語】悲しい。「久しぶりに会えて―・い」「優勝できて―・い」
  • 満足して,相手に感謝する気持ちになるさま。ありがたい。かたじけない。「お心づかい―・く存じます」
となっていた。

 最後に「喜ぶ」については、『新明解』では、
  • よい事に出あって非常に満足し、うれしいと思う。
 また『大辞林』では、
  • よい事に出合って快い・楽しい・うれしいと思う。また,その思いを言動に表す。「お目にかかれてとても―・んでいました」「応援団が―・んでいる」
  • 祝福する。「無事な生還を―・ぶ」
  • ありがたいと思いつつ受け入れる。「彼は他人の忠告を―・ばない」→ 喜んで
となっていた。

 なお、『大辞林』には、楽しいと嬉しいの区別について、以下のような記述があった。
「楽しい」は心が満ち足りて愉快な気分である意を表す。それに対して「嬉しい」は外的状況が自分にとって好ましい状態になって喜ばしい気分になる意を表す。
 以上について私なりの考えを述べると、まず、「楽しい」はどちらかと言えば一定状態が持続する時の感情表現であり、や「嬉しい」や「喜ぶ」は、特定行動の結果や、何らかの外部事象の出現による感情変化を表しているように思える。「楽しい」の動詞形の「楽しむ」の場合も、感情の変化ではなく、何かと関わることによる持続的な状態を表しているようである。「遊園地は楽しい」とか「テレビゲームを楽しむ」というのは、特定状況で、その状態が安定的に持続していることを示している。いっぽう、「嬉しい」は、「遊園地でミッキーマウスと一緒に写真が撮れて嬉しかった」とか「テレビゲームで一面をクリアできて嬉しい」というように、特定の事象が生起し、感情の変化が起こったことを表しているように思える。

 「喜ぶ」は「嬉しい」とほぼ同じ場面で使われるが、「喜ぶ」が第三者、時には動物の情動変化についても表現できるのに対して、「楽しい」や「嬉しい」は、自分自身について述べる場合に限られるように思う。「○○を楽しんでいる」というように明確に観察可能な場合を別とすれば、通常、第三者については、「楽しそう」や「嬉しそう」 といった推測表現を使う。
  • 太郎君はおもちゃを買って貰って喜んでいる。
  • イヌのタロウは、久しぶりに太郎君に会えて、とても喜んでいた。
  • 太郎君はおもちゃを買って貰って嬉しそうにしている。(「太郎君は嬉しい」とは言わない。)
  • イヌのタロウは、久しぶりに太郎君に会えて、とても嬉しそうだ。(「タロウは嬉しい」とは言わない。)
  • 日曜日の朝にNHK杯将棋の番組を視るのは【私は】とても楽しい。(「太郎君は楽しい」とは言わない。)
  • 日曜日の朝、太郎君はNHK杯将棋の番組を楽しんでいる。(楽しんでいる状態は、外部からも相当程度観察可能。)
 なお、この種の考察は、日本心理学会第74回大会参加報告にリストアップした、ことばと社会【連載】をめぐる諸議論と共通するところがあるように思うが、今回はこれ以上立ち入らないことにする。


 次回に続く。