じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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§§ 2012年版・岡山大学構内でお花見(16)六高菊桜

 本部棟前の六高菊桜が見頃となってきた。由来は、写真右の説明看板の通り。この樹は三代目にあたっており、二代目の写真が2000年4月30日2003年4月22日の日記にあり。なお二代目は、2004年の夏に枯死している。いまある三代目の花のほうが白っぽい色になっている。

 ※岡山大学構内の花だよりのアルバム(追記更新型)をLife-Xに公開中です。随時追加していきますので、時たま覗いていただければ光栄です。


4月20日(金)

【思ったこと】
_c0420(金)「行動の原因」と「行動の理由」の違い

 昨日の続き。木曜日の教養教育科目の授業(「行動分析学入門」)では、「行動の原因」と「行動の理由」についても話をした。備忘録を兼ねて要点をここに記しておく。

 まず、何はともあれ、行動分析学では「行動の原因」(←昨日も述べたように、性格には「行動が増えた原因」や「行動が減った原因」)は何度も登場するが、「行動の理由」という言葉が使われることは滅多にない。もし使われるとしたら、集団行動場面でのルール支配行動として、もしくは、他者の批判をかわすための言語反応としてということになるだろう。

 ちなみに『新明解』では、「理由」は、
  1. その人(時)の行為を正当化し根拠づけるものやこと。「理由の無い避難」「その理由に挙げる」「理由に乏しい」
  2. 何がもとになってその事柄が起きたのかについて、理屈でつじつまを合わせたもの。「風邪を理由に欠勤した」
というように定義されている。この定義からも分かるように、「理由」という言葉が使われるのは、人間の行動に限られる。「地震が起こった理由」とか、「馬が走る理由」という言い方はしない。

 上掲の『新明解』の1.にもあるように、「行動の理由」という言葉はしばしば、行動の正当化の際に使われる。要するに、ちょっと変わったことや他者に迷惑をかけるような行動をした時に、非難を交わすためにいろいろ理屈をこねるのが理由である。また、2.にもあるが、言い訳として使われることも多い。

 であるからして、本人が語った「行動の理由」は必ずしもホンモノの「行動の原因」にはならない。本人が語る「理由」には、建前や、自分をよく見せかけるための装飾がほどこされている。いっぽう行動分析で「行動の原因」という場合は、その行動がどういう形で強化されているのかを述べることになる。

 昨日も述べたように、行動分析では、オペラント行動が増えたり減ったりする原因は究明できるが、当該行動がなぜ自発されたかという根本原因は問わない(←「自発」を前提にしているから)。どうしても自発の原因を知りたい場合は、系統発生的な分析が必要である。さらに、原因というのは必ずしも樹の根っこを第一原因として、そこから枝分かれして因果関係の連鎖が生じるようなものであるとは限らず、なかには、円環状にぐるぐる回るように変化する現象もある。これと同じことは「理由」にも当てはまるように思う。「理由」にばかりこだわると、世の中すべての「存在理由」を問わなければならないが、それを探し求めてもたぶん結論は出ない。「自分の存在理由」などをあれこれ考えているヒマがあったら、どんどん行動し、行動する中で自分を作っていったほうがはるかに生産的である。

 「理由」はこのほか、国や組織が、ある行動を正当化する際にもしばしば用いられる。外国へ軍事介入する国はしばしば「介入」の理由をアピールする。このほか、ネットで検索すると「10の理由」などというように、1つではなく、多面的に理屈をこねて説得力を高めようという対処のしかたもあるようだ。