Copyright(C)長谷川芳典 |
2月15日夕刻、世界三大黄金像の1つ、岡山の大黒天像(←長谷川が勝手に選定)とドクターイエローとのコラボを撮影した。今年に入ってからは1月29日以来、2回目。 1月29日と2月15日の写真を比較すると、画質、明るさ、車両の位置などが若干異なっているが、それ以外に写真ではわかりにくい根本的な違いが1つある。それは、ドクターイエローの走る方向が、2月15日の時は右方向(下り)、1月29日の時は左方向(上り)であるという違いである。新幹線は左側通行なので、左方向に走る時のほうが手前の線路を通ることになり、いくらか近くに見えるはずである。また、下り線は岡山駅に向かって減速走行、上り線は岡山駅に向かって加速走行をしており、走行速度自体にも違いが見られるかもしれない。推理小説のネタに使えそう。 |
【連載】 関係反応と関係フレームをどう説明するか(42)「関係フレーム」とは何か?(30) Temporal Relations(2)一方通行型と円環型の時間関係 昨日の日記で、時間関係と比較関係の違いに言及した。 ●過去、現在、未来という3者は目の前にあるものではない。目の前にあるのは常にとどまることなく流れていく現在のみにすぎない。 しかし、我々は、必ずしも時間を一方通行型の流れとして捉えているわけではない。1月14日や2月7日の日記で述べたように、春夏秋冬、月や日にち、曜日、時計の針などはすべて周期的(円環型)に変化している。 純粋に天文学的に捉えるならば、時間の流れは一方通行であり、地球の自転や公転が周期性をもたらしていることは確かであるが、そこに暮らす人間の視点から天動説的な見方をするならば、
言うまでもなく、四季の変化は農業にとってはきわめて重要。単に起こってしまった変化に適応していくだけでなく、変化が起きる前に畑の土をおこしたり、種を蒔いたりする必要があるし、冬が来る前に越冬の準備を終えておく必要がある。また1日の生活リズムは、自分自身の健康維持のためばかりでなく、産業社会における組織労働では不可欠となる。 宗教のことは全く分からないが、「輪廻」という考え方も、四季や毎日の繰り返しから般化した考え方であるようにも見える。 日常生活の中で「時間関係」について語る場合、その大半は周期性、つまり円環型の時間ではないだろうか。一方通行型の時間に言及するのは、例えば以下のような場合であろう。
以上述べたように、時間関係には、一方通行型と円環型という2つのタイプがあり、文脈により使い分けられていることは間違いない。隠居生活を始めてもうすぐ1年になる私の場合は、社会的な周期性(年中行事や勤務時間など)に拘束されないという点で自由な身になった反面、逆に、自分なりの周期性、というか、健康保持や中期的な課題遂行のための規則的な生活習慣の確立がますます重要になっている。そうでないと、単に時間の流れに任せて、無為徒食の日々を送るだけの余生に終わってしまう。 不定期ながら次回に続く。【なお、この連載は、次回は3月以降となる見込み。】 |