じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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12月14日の日記で御紹介した通り、今年もまた「岡大イルミネーション」が始まった。写真は16日(木)の帰宅時と夕食後の散歩時に撮影したもの。今年の特徴は、空にちりばめられた青い光を見上げて楽しむ設計になっていること。昨年の地上型とは趣を異にしている。 なお、帰宅時にはまだ食堂が営業中であったため、ツリーの後ろ側の照明が少々目障りになっていた。営業終了後にはもっと良い写真が撮れるが、21時きっかりに消灯となる。夕食後の散歩時にも、夫婦で記念写真を撮っている最中に、バチッと電源を切られてしまった。 ※これまでの主な記録写真は再掲しておく。
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【思ったこと】 _a1216(木)日本質的心理学会第7回大会(17)現場の心理学はどこまで普遍性をもちうるのか(7)私的出来事、再現可能性、省察性 12月14日の日記で、相手の視点に立つことと、相手の気持ちを思いやったり共感する行動はある程度独立しているのではないかと述べたが、このことについてさらに補足しておきたい。 この種の議論ではしばしば、俗流の「こころが大切」主義者が登場して客観主義的視点を攻撃する。しかし私は、客観的に相手の置かれている事態を把握し、そのことを改善するために努力したうえでないと、真に共感したり、相手を思いやることはできないと考えている。悩みをかかえた相手と一緒に涙を流したところで事態が解決するわけではない。病気にかかった人に接する場合もそうであって、仮に、相手と同じ病気になってみたところで、相手にプラスになるような接し方ができるわけではない。であるからして、安易に「こころ」や「思いやり」や「愛情」を口にして何かを訴えるだけではダメ。相手の立場に立つという時には、相手の「私的出来事」を客観的に分析することがやはり大切ではないかと思う。少なくとも私個人は、そもそもの前提として、科学的な視点(さらに言えば行動分析的学的な視点)で相手の状況を把握することが先決ではないかと考えている。 もっとも、質的心理学では、科学について的なアプローチについての、少々異なった見方があるようだ。例えば、少し前に刊行された、社団法人日本心理学会発行の ●心理学ワールド 51号(2010年10月15日発行) の中で、日本質的心理学会理事長のやまだようこ氏は次のように述べておられる。 「質的心理学」とは,「広義のことば」を重視する心理学である(やまだ,2007)。それには「再現可能性」を求めることはできないのだろうか。私は可能であるし,必要だと考えている。ただし,「測定」「数量化」「統計」という操作を用いることはできない。質(ことば)を質(ことば)で支える「再現可能性」が必要になる。また,再現可能性を保証する「信頼性(reliability)」という用語は,「省察性(reflexivity)」に替わることになる。【34頁】 次回に続く。 |