【連載】チコちゃんに叱られる! 怒りを通り越してあきれてしまうほど胡散臭い「他人の目を気にするのは石器時代を生き抜くため」という進化心理学モドキのこじつけ(1)
昨日に続いて、4月26日(日)に初回放送された表記の番組についての感想・考察。本日は、
- 新幹線でシートベルトをしなくていいのはなぜ?
- 他人の目が気になっちゃうのはなぜ?
- 将棋の対局中に食べたモノがニュースになるのはなぜ?
という3つの話題のうち2.について考察する。
他人の目が気になる理由について、放送では、「石器時代を生き抜くため」が正解であると説明された。進化心理学を研究している石川幹人さん(明治大学)&ナレーションによる説明は以下の通り【趣旨を損なわない範囲で箇条書き、文体の改変あり】。
- 【「人がうわさ話が好きになるのは石器時代に生き残るため」(2024年1月26日放送)と同じではないかという問いに対して】現在の人の習性は石器時代に身につけたものが多い。だから現代社会を生き抜くためにも、もっと石器時代について勉強したほうがいい。
- 遙か昔、人は食べるものを探しながら放浪する狩猟採集生活をしていた。石器時代は100人ほどで集団生活をしていてそのなかで狩りをする人、木の実を集める人、料理をする人などそれぞれ役割をこなしながら食べ物を平等に分け合い和気あいあいと暮らしていた。
- この頃は自分の集団以外の人と接点を持つことはほぼなかったので、自分に向けられる人の目は集団のなかにいるよく知った人たちの目だった。
- 勝手知ったる人の目(仲間の目)に見られているということは自分にプラスの影響を与えてくれる。例えば
- 体調が悪いときにすぐに気付いて助けてくれる。
- 力が強くて粘り強い性格だと気付くと、狩りのチームに入れて集団の中での居場所を作ってくれる。
- 信頼できる相手に見られていると、この人の役に立ちたいというふうに思って100%以上の力を発揮できることもある。
- そうやって集団自体もどんどん強くなることができた。
- 逆に悪いことをしようとするときに人の目に見られているとマイナスの影響があった。例えば、
- 食べ物を独り占めしようとしているのが見つかると仲間からの信頼を失い追い出されるということもあった。
- そんなことになったらこの時代、なかなか食べ物が手に入らず一人では生きていけないから死んでしまう。
- つまり、いいときも悪い時も人の目を気にしていれば、自分の居場所を守り、そこで協力してみんなで石器時代を生き抜くことができた。
- 狩猟採集生活が始まったのが250万年前。狩猟採集生活を止めて農耕を始めたのが1万年前。つまり人間の歴史の99%以上が石器時代。この長い期間で他人の目を気にすることが本能に深く刻まれた。
- 現在は暮らし方が変わり石器時代ほど他人の目を気にしなくても生き抜いていける時代になったが、他人の目が気になる石器時代の感覚が残っているからこそ、自分の行動をコントロールし、人と人が共存できる、楽しく穏やかに暮らせる社会を築けているともいえる。
- 現代社会では人柄や素性をあまり知らない人の目が私たちに向けられることが多くなった。その結果、周りにいる人が何を考えているのか想像しづらくなってしまった。どうするのがいいかわからなくて緊張したり不安になってよいパフォーマンスができなくなったりする。
放送ではさらに、カフェの壁に岡村さんの特大ポスターを貼り、その真ん前のテーブルに座る人がどれだけいるかを観察する実験が行われた。テーブルは2人席が2つあり、ポスター正面と、その隣の席のみが空いており、他はスタッフのさくらが座っていた。。その結果、ポスターから離れたほうの席を選んだお客は8組中6組だった。
ここからは私の感想・考察になるが、放送でも言及されたように、上掲そっくりの「説明」は、1月26日初回放送の、
●人がうわさ話が好きなのはなぜ?
でも取り上げられたことがあった。このときの解説者は堀田秀吾さんで、今回の石川幹人さんとは別人であるが、いずれも明治大学の教授として紹介されていた。石川幹人さんはそれより前の、
●●穴があったらのぞきたくなるのは、穴の中にいいモノがあるとすりこまれているから
で解説をされていたが、これまた相当に胡散臭い内容であった。
こうした「進化心理学」的説明は、常にワンパターンであり、改めてお話を伺わなくても予想することができる。要するに、
●大昔の人たちの生活ぶりを証拠の無いまま勝手に想像して、その時代に適応的であったから現代でもそれが続いているとこじつける。さらには、遺伝子やら脳科学の専門用語で権威付けすることが多い。
というものでこれが許されるなら学問は要らない。現代人の特徴的な行動の多くは、大昔の人たちの生活を想像し、その中で都合のよい部分を取り出してこじつければ、いとも簡単に納得感を与えることができる。例えば、
- ヒトはなぜギャンブルにハマるのか→狩猟採集生活そのものがギャンブルだったから
- 霊長類の多くは水が嫌いなのに、ヒトはなぜ泳げるのか→石器時代、生き延びるために必要だったから
- なぜ花壇で花を育てるのか→農耕時代、作物を育てることで生き延びてきたから
- なぜ星を見るのが好きなのか→大昔、星を頼りに移動して生き延びてきたから
- 赤ちゃんはなぜ可愛いのか→赤ちゃんを可愛がることで子孫を殖やせたから
などなど、何でもこじつけが可能である。もちろん、いま上に述べたことは、いずれも納得感を与えてくれるかもしれないが、学問として体系化していくためには、そんなエエ加減なことでは困る。
ちなみにこれまでで最も胡散臭い説明と思われたのは、
●展望台にのぼって高いところからの景色を見たがるのは『いいことがある』と遺伝子が記憶しているから
であり、この時はさすがにNHKやBPOにクレームを出したことがあった【←どちらも無視された模様】
以上、「進化心理学モドキ」の問題点を述べたところではあるが、本来の「進化心理学」はそんなものではないようだ。こちらの記事【若手研究者による著作物紹介。執筆者は大坪庸介さん】から抜粋引用させていただくと、
- 進化心理学とは、ヒトの心のはたらきを「自然淘汰による進化」という考え方によって統一的に説明しようとする分野である。つまり、進化心理学を学ぶということは、特定の「考え方」を理解するということである。このときに問題になるのは、正しい理解を阻害するいくつかの誤解が広がっていることである。
- 進化論に関する誤解の筆頭格とも言えるものに、「種の保存」の役に立つ形質は進化するというものがある。例えば、ある個体が群れに近づく捕食者の存在を大きな警戒音を出して仲間に知らせる結果、目立ってしまい捕食されやすくなるとする。この個体の行動は自己犠牲を伴う利他行動である。このような利他行動は「種の保存」に役立つから進化したのだという説明を聞いたことはないだろうか。もっともらしく聞こえるかもしれないが、これはよくある誤解、つまり間違いである。
- このような誤解が生じるのは、自然淘汰が作用する対象が理解されていないからである。自然淘汰による進化とは、遺伝子により世代を越えて受け継がれる形質 (行動特性も含む) に、生存・繁殖に有利なもの、不利なものがあるときに、生存・繁殖に有利な形質を作る遺伝子がその集団の中に広がっていくプロセスのことである。これを踏まえて改めて警戒音について考えてみる。すると、警戒音がいくら「種の保存」に役立つとしても、それを発する個体は生存しにくく、その結果、その遺伝子も集団中に広がらないことがわかる。
- 進化的な説明は、利他的に見える行動も、実際には自分自身の遺伝子を増やす利己的な機能があるのだという説明にならざるを得ない。
- ここで、もうひとつの誤解が生じる。ある行動がどのような機能のために進化したのかに関する究極要因の説明と個体にその行動をとらせる至近要因の説明が混同されてしまうのである。
- 最後の誤解は、究極要因と至近要因の混同から派生する。私たちの行動が利己的な動機 (至近要因) に基づいているという誤解は、その行動を偽善的であるとか、非道徳的であると非難することにもつながる。しかし、ある行動傾向がなぜ進化したのかという「〜である」の説明は、私たちがどのように行動「すべき」かという道徳の問題とは切り離して考えなければならない。
上掲の中でもとりわけ「「種の保存」の役に立つ形質は進化するという」という誤解に留意する必要がある。過去のチコちゃんに登場した「トンデモ進化心理学」は、大昔に適応的であった行動が遺伝子に組み込まれ現代社会に受け継がれているというこじつけに終始しており、本来の進化心理学に誤解を与える恐れがあるように思う。
次回に続く。
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