【連載】チコちゃんに叱られる! 「なぜ観覧車が造られた?」、「指と指が吸い寄せられる不思議」
昨日に続いて、2月14日(金)に初回放送された表記の番組についての感想・考察。本日は、
- 年齢を書くとき歳と才って書くのはなぜ?
- 観覧車ってなに?
- 【こんなんのコーナー】じっと見ると指と指が吸い寄せられちゃう現象
- なぜ失恋すると海が見たくなる?
という4つの話題のうち、2.と3.について考察する。
まず2.の観覧車の話題であるが、ここでは「なぜ観覧車は造られた?」という疑問として取り上げられており、放送では「エッフェル塔のライバル」が正解であると説明された。観覧車の歴史や成り立ちに詳しい坪野圭介さん(和洋女子大学)&ナレーションによる解説は以下の通り【要約・改変あり】。
- 観覧車が誕生したキッカケは1893年開催のアメリカ・シカゴ万博であり、エッフェル塔に対抗するために生まれた。
- フランス・パリを象徴する高さ330mのエッフェル塔は、そもそもは1889年開催のパリ万博の目玉として建築され、当時世界一の高さを誇っていた。
- エッフェル塔は当時珍しかった鉄製の建築物であった。当時の建築物の素材はレンガや石が主流で、大量の鉄を造るのは難しかった時代。しかしフランスは7000トン以上の鉄を生産・使用し、わずか2年2か月の異例の速さで完成させた。
- 1893年のシカゴ万博でアメリカはフランス超えの高い技術力を世界に示したいと考えた。
- 観覧車はシカゴ万博の建築物総指揮者のダニエル・バーナムの無理難題に答えようとした鉄橋建設会社社長のジョージ−・フェリス(当時34歳)が、厳しい条件の中で導き出したアイデアだった。
- フランス超えとして当初提案された多くの案はエッフェル塔より高い塔を作るというものだったが、単に高い塔を造るというだけではエッフェル塔の二番煎じになってしかならないという理由で却下された。
- 当時、電球・蓄音機・キネトスコープなどを発明していたトーマス・エジソンや交流式電流を発明したニコラ・テスラなどは万博で競って電気の力をアピールした。東京ドーム約60個分という広大な万博会場や約12万本の電灯で照らされ、また電球で覆われた高さ20m以上のエジソンタワーも建設された。
- シカゴ万博は遊具などの娯楽の要素を全面的にアピールしようとしていた。大衆的な娯楽やエンターテインメントの力こそがアメリカの自由で民主的なエネルギーを体現すると考えていた。
- 万博開催の半年前、フェリスは歩行中に自転車とぶつかって転倒し、その時に見た自転車のタイヤをヒントに、大きな車輪にゴンドラをつけて回すアイデアを思いついた。その概略図は、バーナムの食卓にあったナプキンに描かれ提案されたと言われている。
- なお、フェリスは幼少期から水車の構造に興味を持っていて、自転車・水車・遊具を掛け合わせて巨大観覧車を発案したようであった。
- 観覧車建設にかかる費用は現在の日本円で16億円。シカゴ万博では壮麗な建築群、電力噴水、動く歩道など、およそ200もの建築物やモニュメントが造られたため予算がひっ迫していた。そのため観覧車の建設費用は「自腹」、つまり収益でまかなうことが絶対条件となった。
- 約16億円で完成した機械式観覧車は鉄製で高さは約80m、動力は蒸気、一周10分。最大のポイントは高さ約3m、幅約7mのゴンドラで、1基につき約60人、全36基で一度に2160人が乗車できた。
- シカゴ万博の観覧車のチケットは1回50セント。現在の日本円で約2500円という高額であったが、のべ150万枚、売り上げは37億円以上となり、建築費用を大きく超えた。さらに万博自体の来場者数は約2700万人となり大成功となった。
- 今でもアメリカでは観覧車のことを『FERRIS WHEEL(フェリス・ウィール)』と呼んでいる。しかしその後のフェリスの関心事はジェットコースターに移ったようである。
- 万博終了後、フェリスは観覧車の運営権を持ち営業をしていたが、各地で観覧車が真似されことでフェリスの会社は倒産。その後フェリスは病を患い37歳の若さで亡くなった。
- 【補足説明。但し諸説あり】観覧車のゴンドラは当初は60人乗りであったが、お客は家族がメインだったこと、また移動遊園地の需要が増えたことで小型化が進み、4人乗りが主流になった。
ここからは私の感想・考察を述べさせていただくが、まずウィキペディアには、
観覧車の原形は、18世紀初めモスクワに登場したロシア帝国貴族の遊具であり、あらかじめ車軸に巻き付けてあったロープを人力で引っ張るものであった。さらに17世紀には、木製の大きな輪から垂らした鎖に人が乗って、この輪を人力で回すという遊具がオスマン帝国領のブルガリアにあったことが、西欧からの旅行者などの記録に残っている。
という記述があり、シカゴ万博の観覧車が元祖というわけではなさそうだ【但し機械式の巨大な観覧車はシカゴが最初】。
ウィキペディアによれば、観覧車の高さの世界一の記録は5年〜10年程度で塗り替えられており、
- 1989年3月17日 - アジア太平洋博覧会の観覧車(105m、福岡市)が登場、「Grande Roue de Paris」の記録を塗り替えた。
- 1989年3月25日:横浜博覧会のコスモクロック21(107.5m、横浜市)。
- 1992年:びわ湖タワーのイーゴス108(108m、大津市)。
- 1997年7月12日:天保山大観覧車(112.5m、大阪市)。
- 1999年:パレットタウン大観覧車(115m、江東区)
というように1989年〜2000年までは、日本国内にあった観覧車が世界一になっていたことがあった。こちらのリストによれば、現在の世界一はアラブ首長国連邦・ドバイにある『アイン・ドバイ』で高さ250mとなっている。但しメンテナンスのため2022年3月以降無期限で営業を停止しているという。
観覧車は常に回転しているので、乗車口からゴンドラに乗り込む時は注意が必要となる。その際のトリビアだが、日本の観覧車は乗車口側から見て時計回り、つまり向かって左側に動くように配置されている。いっぽう海外では、逆回りに動いている観覧車が多い。これはメリーゴーランドも同様【一部の輸入された遊具を除く】。これらは、日本では車が左側通行で、バスに乗る時と同じように左方向に動くほうが慣れていて安全だという考えに基づくようだ。なので車が右側通行の国では、観覧車もメリーゴーランドも乗車口から向かって右方向に動く設計になっている。
ここからは私の個人的な回想になるが、私自身が乗ったことのある最大の観覧車は葛西臨海公園の『ダイヤと花の大観覧車』。このほか、記憶に残っている観覧車は以下の通り【上掲の二子玉川園と京王遊園の観覧車に乗った(はず)のは3歳〜5歳の頃だったので全く覚えていない】。
- 京山の光る輪
旧・京山ロープウェー遊園の観覧車は、山の上にあったためかなりの高さを感じた。
以前住んでいた所からは、毎年一定の期間だけ、観覧車が西日に照らされて美しく輝く光景を眺めることができた。なお、京山遊園閉園に関する記事は1998年8月30日の日記にあり【閉園は1998年9月6日】。
- 2022年6月2日到津の森公園
この観覧車は息子が5歳くらいの頃に義父と息子と私の3人で乗ったことがあった。その後長期間にわたり『メンテ中』で営業停止になっていたが、営業再開後の2022年、30数年ぶりに乗ることができた。もっとも義父はすでにこの世を去っており、この時に乗ったのは、息子と孫と私の3人であった。同じ観覧車で、乗った3人も同じ「祖父−父−子」という関係であったが、一世代分シフトしており、私自身は祖父になっていて感慨深いところがあった。
- 2023年12月24日りんくうタウンの観覧車。
関空利用の前日、『りんくうタウン』のホテルに泊まった時に眼下に見えていた。観覧車自体には乗っていないが、客室からの夜景だけでじゅうぶん満足できた。
次に3.の
●【こんなんのコーナー】じっと見ると指と指が吸い寄せられちゃう現象
は、以下のようなものであった。
- 左右の手の指が互い違いになるように両手を組み、人差し指を間隔が空くように立てる。
- 2本の人差し指の間の隙間をじっと見つめると、指と指は真ん中のほうに吸い寄せられてくっついてしまう。
このコーナーではお馴染みの坂井建雄さん(順天堂大学)&ナレーションによる解説は以下の通り【要約・改変あり】。
- この原因は脳の集中力にある。
- 人間の指は少し曲がった状態が楽な形。
- 指を伸ばし続けるには脳がずっと指を意識する必要があり、かなり難しい。
- 指を見続けることに集中すると意識がそちらに移る。
- 指を伸ばし続けることに集中しなくなったころで、指どうしは元の楽な状態(少し曲がった状態)に自然に戻ろうとする。
この現象は私でも比較的簡単に確認することができた。但し上記の仕組みから類推できるように、「指を伸ばし続ける」ことへの集中をそらせば指と指は自然にくっついてしまうのであり、別段「2本の人差し指の間の隙間をじっと見つめる」必要はない。例えばしばらく目をつぶっていても、いつのまにか指と指はくっついてしまう。このほか少し無理な動作になるが、他の指(親指どうし、中指どうし、薬指どうし、小指どうし)でも、2本の指を間隔を空けて立てると、目をつぶっているうちにくっついてしまう現象が生じるようだ。
次回に続く。
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