じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



4月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る

楽天版じぶん更新日記|
[今日の写真]

 時計台前のアメリカフウの新緑。


4月29日(日)

【ちょっと思ったこと】

いつもより開花の早い?草花

 散歩道に咲く草花の開花が例年より早いように思う。忘れないうちにメモしておきたい。リンク先は、過去日記から。

【思ったこと】
_70429(日)[教育]第13回大学教育研究フォーラム(16)心理学者,大学教育への挑戦7−グループ活動を含む初年次教育の実践−(6)/全体の感想


 フォーラム2日目の夕刻に開催されたラウンドテーブル企画:

●心理学者,大学教育への挑戦7 −グループ活動を含む初年次教育の実践−

の参加感想の最終回。

 指定討論の最後に立たれたY氏は、効果的なグループ活動を基盤とした協同学習の意義について論じられた。協同学習の基本原理としては「互恵的な相互依存性」、「積極的相互作用」、「個人の責任」、「スキル訓練」、「活動評価」、協同学習の成果としては、認知的側面と態度的側面の同時学習があり、協同に基づく教育パラダイムがいかに素晴らしいものであるかが力説された。

 後半では、教育観と大学への適応に関する調査で、調査対象の大学生を、「協同的98名」、「中間101名」、「競争的112名」に分類した上で、人間関係や学習の適応内容、動機づけ(内発的か外発的か)を比較したグラフが示され、日本協同教育学会の活動が紹介された。

 スライドに示されたデータは、「協同的」のほうが「競争的」より優れている?ことを示すものであったようだが、時間が無かったこともあり、具体的に何をどのように調べたのか、ツッコミどころを探るには至らなかった。もっとも私自身は、協同か競争かという一般論はあまり意味が無いと考えている。早い話、スポーツ系のチームを見れば分かるように、グループ内部でいくら協同を実践してもグループ間では競争という事態はいくらでもあり得ることだ。受験対策重視の高校生は「競争的」であるように見られがちだが、学校の中では、友達どうして「協同」で受験勉強に取り組むこともある。競争原理は「原理」ではない。競争場面で何が何によって強化されるのかは多種多様であり、一概に是非を論じるわけにはいかない(こちらの小論参照)。




 ということで、3月27日〜28日に開催されたフォーラムの感想をやっと書き終えることができた。この種の感想の連載は参加後2週間以内に完結させることを鉄則としていたのだが、今回は、年度末・年度初めの行事が多く、完結までになんと1カ月もかかってしまった。

 全体を通じてまず思ったのは、学士課程教育においては、初年次教育から専門教育までをセットにした体系的なカリキュラムの構築が求められているという点だ。かつて全国の国公立大に教養部があった時代には、教養部における教育と学部における専門教育は完全に分離され、担当教員の間でもお互いに干渉しないという風潮が根強く残っていた。その後、学士課程教育についての議論は大いに進んだが、現実には実施機関は今なお、卒業要件単位数と、受講者数に応じたコマ数を割り振るのが精一杯で、教養教育の「あり方」ではなく、「やり方」の調整に追われている傾向が続いていると言えないこともない。特に、大規模な国公立大学の教員の場合は、教養教育の授業科目担当の他にも、専門教育、卒論指導、さらには、大学院教育や外部資金獲得、管理運営などさまざまな業務に追われており、ボトムアップ的に改善を試みようとしても、そのたびに負担軽減論や時期尚早論が噴出するのは必然である。

 私の個人的な考えとしては、初年次教育や教養教育を体系的に実施するためには、まず、強力な権限を持った実施機関と、その効果を継続的に点検するための評価機関を設けることが不可欠である。また、責任コマ数などという形で授業科目担当を強いる限りにおいては、どうしても義務感が先行して活性化にはつながらない。といって人件費には限りがある。いっそのこと、全教員の給与を2〜3割一律カットした上で、それによって確保された資源を、初年次教育・教養教育担当者の手当に充てたほうが良いように思う。評価の高い教員にはそれだけ多くの授業を担当していただき、その数に比例して手当を増やすべきである。

 このほか、最後のラウンドテーブル企画に参加して特に感じたことであるが、大学教育イコール授業という前提ではなく、サークル活動や自主的な研究会活動も積極的に評価し、それらと連携した成果を得ていくことも大切ではないかと思う。グループ活動などと言っても、週1コマ、半期15回程度の授業の中で、教員が介在して行う活動の成果には限界がある。受講生たちも、結局のところ、単位をとるために嫌々グループに加わっているという面も否定できない。リーダーシップ養成や役割分担などというところは、4年間に及ぶまっとうな部活動のほうが遙かに大きな成果をもたらすようにも思える。じっさい私の教室でも、サークルの幹部として活動している学生は、卒論研究にもしっかりと取り組み、ゼミの中でもリーダー的存在になることが多いように思う。

 余談だが、私が学部や大学院の学生であった頃は、教員が開講する授業よりも、大学院生が中心となって組織する、領域別の研究会が教育・研究に大きな役割を果たしていた。ま、授業をやらなくても学生・院生が勝手に育つという「自由な学風」は、かなり特殊なほうかもしれないが...。